報道の現場に口を挟んでみる(その2、新興の blog ジャーナリズムに対する一私見。)

木走さんへ

先日の記事(「日本のマスメディアの無責任な報道姿勢に社会正義などあるのか?」)についてです。コメントで済まそうと思ったのですが、長くなりそうになったので、記事にしてトラバすることにしました。前回の記事へのコメントに続き、疑問を呈したいと思います。

木走さん>領事館員自殺 中国の諜報工作を侮るな〜社説にまで取り上げた産経の強い中国への警戒感
 昨日(29日)の産経社説から・・・

木走さん>・・・日本マスメディアが正しく報道責任を果たしていれば、日本政府・外務省の意識も変わりそもそも今回の外交官自殺問題は未然に防げた可能性は大なのであります。

そうでしょうか。やはり事の主体性は政府・外務省にあるように思えます。確かにマスコミによる圧力は一つの大きな力であることは否定しませんが。前回の衆院選挙で私は小泉自民党に投票しましたが、投票した理由の一つとして、小泉氏が北朝鮮との交渉時に見せた慎重さ、脇の硬さでしょうか。およそ一国の宰相として自己の判断で難局を乗り越えようと言う姿勢でしょうか。多分に口外はしていないでしょうが、中国や北朝鮮当局の現状をいちゃんと把握していた上での行動でしょう。しかしその辺を前向きに評価する声は全然、聞こえてきませんね。マスコミからも、blog メディアからも。*1

あと、以下に挙げるように今回のマスコミに対する姿勢について、なんか感情的に煽っているようにしか見えないのですが、その意図は何なのでしょうか。

木走さん>しかし国民がひとつだけ騙されてはいけないことは、日本のマスメディアは決して日本の国益に忠実なわけではなく、権力を有する巨悪には弱く、名もない人達には容赦なく報道する、臆病報道機関=チキン・メディアであるという事実であります。

木走さん>今回の事件も、もし過去の政治家スキャンダルをメディアが真摯に追求報道していたならば、未然に防げていた可能性は大きいのです。

木走さん>過去の政治家がらみの事件では沈黙を守っていながら、今回の外交官自殺問題だけ妙にはしゃぐ日本マスメディアには欺瞞を感じてしまいます。

木走さん>君たちは真にチキン・メディアであります!

別に木走さんの義憤を否定するつもりは毛頭ありません。ただ疑問に思うのですが、チキン・メディアがチキン・メディアから脱出するためにはどうしたらよいと思いますか。今のマスコミに対する不信感というのは、抜き差しならない状況だと思いますが、ただ相手の欠点を煽るだけ状況は良くなるはずも有りません。また「悪貨は良貨を駆逐する」と言うことわざもある通り、マスメディアの中にも良心はまだ十分に残っていると思います。ただ彼らも人の子、勇気を奮って巨悪を告発するには、世論のバックアップが必要だと思いますが、煽るだけではかえって悪循環なだけだと思います。彼らを国民の代弁者に戻す。又は代替を見つけるにはどうしたら良いのでしょうね。
こうした考えに至ったのも多分に、長野智子さんの blog が何回か炎上しそうになった所を何とか乗り切ったことにコメントを通じて関わってみた事によるでしょうか。不信感を露骨に表し、非難を浴びせていたコメントの中から、ちょっとひどいと思ったものに反論を試みて見ました。結果的にマスコミに対する不信感に乗せて、自分の不満や閉塞感にも似た気持ちをぶつけて、反応をもらいたいと言う甘え見たいな部分が露出してきたと言う結論に至りました。あと批判している人の大半は匿名であり、自分の blog に対するリンクすら張られていません。やはり blog などの匿名メディアになると、どう見ても大人としての礼儀に欠ける見苦しい物が多いと思います。特に長野さんのヒューザーへの取材での過失に対する謝罪表明の記事へ誹謗中傷めいたコメントの嵐が発生した時は非常にそう強く思いました。 *2 個人的には、これは非常に卑怯な態度だと思うのです。

あと上記の論説には何か焦燥感に近いものを感じるのですが。何なのでしょうか。あの記事に裏側に何か特別な気持ちや想念でもあるのでしょうか。そう言えば木走さんは JANJAN の市民記者をされていたと思いますが、その辺の対抗意識でしょうか?、単なる blogger ではなく、一ジャーナリストとしての義憤からなのでしょうか。それとも JANJAN といった市民参加型のジャーナリズムが思ったように発展しない事から来る焦りなのでしょうか。前回の記事でも「日本のマスメディアの無責任な報道姿勢に社会正義などあるのか?」と論じて降りますが、では JANJAN などの報道機関になら「社会正義」は存在しているのでしょうか。2ch にはどうしょうかね。そもそも報道に於ける社会正義ってなんでしょうか。正義を名乗って、「悪を弾ずる」と言った事を主張し始めた瞬間に、既に真実を追究する行為から外れて行くような気がするのですが。
傍から見ていて思うのですが、インターネットを活用した新興の参加型のジャーナリズム側が既存のマスコミへの批判を行うの見ていても、ちょっと感情が入って批判のために批判に終始していて、本来必要な私達に取って必要な報道のあり方等の新しく建設的な提言までに至っていないような気がするのですが。気のせいでしょうか。木走さんのマンション耐震強度偽装問題に関する記事の一連は、木走さん自身が業界の所属していると言う事もあってか、非常に臨場感のある一般庶民の関心の視点に近い、非常によい記事だと思いました。しかし今回と前回の記事については、なんか情念が先走り、冷静な報道の視点から遊離しているような雰囲気がして違和感が残ります。それと木走さんは実際にそのマスコミの関係者と直接やり取りした事があるのでしょうか。何となく感じとしては無さそうですね。いわいる その辺の言葉にならない部分について、ちょうどよく言い表してくれている blog の記事を見つけましたので、紹介させていただきます。

・・・・・<略>・・・・・
またわたしは日本と米国の2つの国でしか生活した経験がないのだけれど、少なくともわたしは日本人が米国人よりもマスメディアを信頼しているというように感じたことはなかった。それどころか日本のネット上の言説を見る限り、日本のネットユーザーの間には日本のマスメディアに対する相当な不信感があるように思える。
 ということで、わたしは日本人が他の先進国の人たちよりもマスメディアを信頼しているという統計結果をそのまま鵜呑みできないのではないか、と思っている。
 しかし日本人のマスメディアへの不信感は、オーマイニュースのような市民記者型のジャーナルズムサイトが必要とするほどに高まっているのだろうか。
 わたしには、分からなかった。そこで市民記者型サイトが社会に影響を及ぼすほど大きな存在になるのかどうか、ということで判断するしかなかった。
 わたしが参加型ジャーナリズムをテーマにしたブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」を2004年5月に立ち上げたときには、JANJANは既に運営されていた。しかし新聞記者仲間の間でもJANJANを知らない人が多く、オーマイニュースのように報道機関として広く認知されているとは言い難い状況だった。JANJANはその後も確実に登録記者数を伸ばし、活動も充実してきてはいるものの、やはりこの原稿を書いている時点でも、報道機関として広く認知されているとは言えないと思う。
 市民記者を募集するだけで多くの人が集まるほど、日本人は既存メディア企業に不信感を持っているというわけではないのかもしれない。また実際に不信感は存在するのだが、不信感や憤りといった感情は2ちゃんねるやブログなど別のルートで、発散、表現できるということもあるだろう。韓国オーマイニュースに人が集まったのも、2ちゃんねるのような巨大掲示板もなくブログが普及する前だったという状況があったからこそではなかろうか。
・・・・・<略>・・・・・・
問題は、2ちゃんねるやブログなど、個人の情報発信欲求を満たすことのできるチャンネルが既にほかにも存在するということだ。欲求は分散され、1つのサイトが大きく盛り上がることが難しくなった。これからの議論の盛り上がりは、サイトを超えるものが中心になるだろう。
 JANJANやライブドアPJ、ツカサネットが意味のないことをやっている、と言うつもりは毛頭ない。わたしは市民によるジャーナリズムの振興を心から願っているし、この3社や、これからも出てくるであろう新しい市民記者サイトを応援する気持ちは変わらない。個々にはすばらしい記事もあることだろう。
 ただこうした市民記者サイトが、マイナーもしくは中堅の掲示板やブロググループというレベルを超え、韓国オーマイニュースのように新しいタイプの報道機関としての地位を獲得するようになるとは、到底思えない。
 わたしは韓国オーマイニュースでさえ、参加型ジャーナリズムの歴史の中の過渡期の産物ではないかと思っている。これからの参加型ジャーナリズムは、ジャーナリズムという言葉を意識せずに自然に実践されるものになると思う。
・・・・・
2005年 12月 30日
オーマイニュース型は日本ではうまくいかないだろう
in ネットは新聞を殺すのかblog

長くなりました。要は批判するだけ、煽るだけなら何だかな・・・と思うのです。長野さんの blog で「マスコミは煽っているだけだろう!!」と感情的なコメントを見て、「煽っているんは、あんたやろ!!」突っ込みを入れたくなりましたが、今回も似たよう気分でしょうか。特に今回の記事に対する以下のコメントなどを見ているとそうした気分に加え、友人に在日韓国人が居るだけに無用な差別を煽っているようで、暗澹たる気分になります。もう少し民族とか、国家とかでレッテルを貼らずに一個の人格を見てはどうでしょうか。こうしてみるとJANJAN などの市民参加型ジャーナリズムって案外と排外的、人種差別主義的なナショナリズムの温床になる危険性があるのではないかと危惧してしまいます。

コメント>芸能界とマスコミには朝鮮系の人が多いとか、職業柄夜の街で 密接な繋がりや弱みを握られてるとも言われてるのが真実でしょうねー。

木走さん> なるほど。あと、実はパチンコ業界も警察OBも巻き込んでの暗黒世界が形成されていて、マスメディアは全くタブー視していますよね。

非常に気に障ったかもしれませんが、その節にはトラバやコメントも削って頂いて結構です。

*1:それに比べれば、拉致被害者の会の方々を煽って、北朝鮮への経済制裁を煽って、正義ぶっている方々には、なんか人の褌で相撲を取っているような軽薄さを感じます。

*2:匿名どころではない、素性の知れた著名人が自分の雇用主の意図とは関係なく、自らその非を認めて謝意を表明する事には非常に敬意を表します。blog で匿名で非難をした人たちに果たしてその勇気があるかどうか。