心と体の関連について

最近、御自身の瞑想体験を書いている BLOG*1 を見て思った事をつれづれなるままに。

実は昔から瞑想を少々たしなんでいます。で、では瞑想って何かと私なりの定義を
説明すると

何らかの身体的技法を伴う心理的(思考、感情、意思を制御する)鍛錬、修練

と言う事になるでしょうか。昔から漱石が「智に働けば角が立ち、情に竿せば流される、維意地を通せば窮屈だ」と言うように自分自身の事ながら、中々自分の思うとおりに行かないのが心でしょう。瞑想は自身の心をより自由に制御する為の一つの技術だと思っています。

しかし、「心をもって心の力を強化して、心をより自由に制御するというのは」、歯医者が自分の虫歯を治すような物で、どう考えても少し無理があるでしょう。ヨガにして座禅にしても昔の人は良く考えた物で、心の制御に体の助けを借りながら行うと言う事を体系化していきました。その中で一番のミソになるのは「呼吸」だと思います。感情の変化や状態が呼吸に現れるのはよく知られた事実ですし、呼吸は普段は自動的に調整されている生理的現象でありながら、随意運動(息を止めたり、大きく吸ったりできますよね。)でもあります。よく緊張をほぐすのに深呼吸を行ったりしますよね。よって呼吸法と思考法を体系的に組み合わせて上記の「心を自由にする」と言う目的を達成するための方法が瞑想と言う事になるでしょうか。この辺は運動と同じで非常に奥の深いものが有ります。

色々書くと長くなるので、続きはまた今度。