[思索] なぜ悩むんだろうか。

100歳知恵蔵さんのブログ*1 をみてつれづれなるままに。

悩む事と考える事の違いについて、100歳知恵蔵さんが BLOG に書かれていました。ちと興味深いところも有るので、それに連なる形で書いてみます。せっかくですから哲学っぽくいきましょうか。・・・・・・・・

悩むことと考える事の違いについて思うのですが、個人的に人の相談に乗る事があります。そうした中で、色々な人の悩み事を聞くのですが、例えば

  • 「会社が危なくリストラされそうだ、住宅ローンや子供の教育費用などの事も考えるとこれから大変だ。どうしよう。・・」
  • 「仕事が上手くいかない、行き詰まりだ。どうしようか。・・・」
  • 「好きな人が出来たんだけど、振り向いてくれない、どうしてなのかな。切ない。・・・」

とかあります。そんな時に、「なぜこの人は悩んでいるのか」、そういう事を考えます。当然最初に、そんな事、当の本人に聞いてみようものなら大抵は怒ってしまうか、「悩んでいるから悩んでいるんだ」ってトートロジーに陥るかです。ただ悩み事の相談も段階が進み、ある程度解決の目処が付いてくると、こうした問いを発する事で本人の悩み事解決を促す時もあります。また問題が解決してしまってからだと、「何でそんな事で悩んでいたんだろう」と言う答えが返って来る事も多いです。

こうして考えてみるとなんか悩む事の本質が見えてくるような気がします。よく「五里霧中」と言う言葉と使って悩んでいる状況を説明する事があります。見通しが利かない、どこへ進めば分からない。その辺から考えると(ちょっと飛躍しますが)悩むの根本の原因は、哲学的にいうなら

そこに果てしない世界があるからだ。

という事になりはしないでしょうか。人間は成長するにつれ、経験や知識を積み、今までの経験から出来事をパターン化して未来を予測して生きていると思います。*2 そうした中で明日も今日の延長線上であり、何とか無事にやっていけると無意識のうちに安心し定来ていると思うのですが、何かトラブルが起こり、上手くやっていけない可能性が増す時、「悩む」ことになると思います。つまり今までの経験、知識による人生のパターンに限界を見出して、行き先に灯りの無い暗がりが広がってしまうのでしょう。


逆に、考えるなら。

それは自分の限界を知る事を通じて、世界の果てしなさを再認識するきっかけでも有るんだと思う。

一日の内に日の当たらない夜があるように、人は時として悩むこともあると同時に、朝を迎えない夜は無いのだから、明日を信じて暗闇に道を探して歩み出してみようと勇気を奮うことも有るでしょう。悩みが人を成長させるのは、勇気をもって立ち向かえば、自分の枠組みをより大きく出来るからなのかと思います。*3

哲学は、存在の無限に驚きを持ち、その驚きを喜びに変えるところから始まると言うような趣旨の文章を読んだことがあります。*4 存在の無限が自分の前に高い壁となって現れる時、どう対処するか、そういった意味で人の悩み事なんかを聞いていると、哲学をする事が人生に深い意味を持つと思う事が多々有ります。

*1:http://100age.cocolog-nifty.com/100age_sin/2004/09/post_25.html

*2:私はソフトウェアの仕事をやっていますが、その方面でもここ数年、パターンの重要性が認識されてきました。

*3:当然、それなりの代償も必要でしょうし、時には人の助けも借りるでしょう。私の場合は占星術を使うことも有ります。

*4:池田晶子さんだったかな、例の「14歳からの哲学」あたりか。