ぜいたくな

最近、参加している SNS である mixigree では、お気に入り、レビューと書評など*1を公開する仕組みがある。書評を行いたい本は検索を掛けるとそのデータが出てきて、それにコメントを入れる仕組みである。同じ対象について複数の人が書いたコメントを読む事が出きる。物の見方の違いがなんとも言えず興味深いところであり、好きな機能の一つである。この元のデータ、amazon から取得しているようである。最近、文才のある知人から、贈呈された自著も検索する事が出来た。かなり網羅しているようだ。だからと言ってそれが万能ではないようだ。本棚から取り出した一冊の本、初版は2001 年。見た目はごく普通の学術的な仏教書。これの検索を掛けても出てこない。つまりこの本の書評は書けないことになる。
この本を購入したのは、京都の寺町の古本屋街であった。ちょうど占星術に関する本で何か良い本はないかとぶらっと古本屋めぐりをしていた時であった。本を探すと言ってもほとんどウィンドウショッピングのような物で、最初の目的とは関係なく面白そうな本があれば、適当に開いてみる。そんなのんびりとした時間の使い方である。ちょうど何軒目かの本屋で、レジの前の所に、値段を下げた本が雑多に積んであった。古本なので大抵は色もくすんだ物が多いが、中に数冊、色の綺麗な真新しそうな本が平積みしてあった。手にとると面白そうな内容の仏教書*2で、書き方も平易なので買う事にした。値段を聞くと定価である。・・・

「古本なのに?、定価なん?」

と思ったけど、古本屋で、値段を理由に購入を中断をするのも非常に野暮なのでそのまま購入する事にした。本の背表紙のしたの出版社を見る。「文栄堂」、小さな出版社であろう。京都である。多分に市内の何処かの大学の仏教学部の先生の記事、小論文をまとめた物だろう。そうした学術書を扱う小さな出版社が比較的多い街である。ふと店を出て、看板を見る「文栄堂書店」・・・・・つまりその時、買った本は実は新書でその古本屋が出版した本だったのである。確かに本の最後の頁の書籍情報の欄には、発行書「文栄堂書店」と書いてある。しかし少しでも売上を上げるためか、引き立たせを狙って、古本の中にあえて混ぜて置いたのか。単にレジの前に置いただけなのかは分からない。しかしさすがは京都・寺町である、どこか侮れない奥深さを感じた。

最近、情報処理学会誌のコラムに DTP*3 が出版を駄目にする言った感じのコラムがあった。アナログな本の作成にはゲラ起し、校正、版作りと見えないところで結構、人が手間、隙を掛けている。ゲラへの書込みを通じて、編集者と著者が「あーだ、こーだ」と構成を練り、校正を行い、本の内容に応じて字体(フォント)や段組みを考え微調整を行い。全体の装飾を決めていく。読み手が自然と読む事に入れるよう、見えないところに職人たちが技術を凝らしていたそうな。しかし DTP が発展し、コンピュータで処理されるようになると、誰でもある程度も見栄えのする組版が出来るようになった。しかし、やはり手間を掛けていない分、どこか見栄えは良いがワンパターンな見た目の書籍が乱造されるようになったそうな。そうなるとデザイン的に奇を衒い差をつけようとするが、却って奇を衒った所が浮き立って、そこの浅い物になってしまい悪循環らしい。さすがに「情報処理学会誌」のコラムである。単なる懐古趣味で昔のやり方が良くて、DTP が悪いと一言も書いていない。要は DTP をコストダウンを狙った作業効率化、合理化のためだけに使ったことを避難してあった。より質の高い、装飾、組版を行うためになぜ、DTP を発展させなかったのか。技術的には十分可能なはずだ、経済一辺倒の状況が今の出版離れを加速したのではないかと。

先の古本屋で買った新著の仏教書。普通の本と言ったが、普通の本よりも装飾が丁寧である。いわいる自費出版系の素人っぽいところもない、版の組み方、字体の選び方、実に綺麗に印刷してある。カバーも上品な小豆色のグラデーションと山吹色で小奇麗にまとめてあり、内表紙の色や紙の選び方も、通常のハードカバーの本よりも却って手間を掛けているのではないかと思う。普通の書店に出しても全然、遜色のない丁寧な仕上がりである。多分に通常の流通には流していないのであろう。町内の同業者や付き合いのある大学の書籍コーナーとか、そんなところに伝で置いてもらう。そんなところか。採算を考えるなら、てんで合わないと思う。しかしそこが文化なのだろう。自分の出したい本を著者を説得して出した。書いてもらった以上はやはり手間を掛けて立派に出したい。そんな事も思わせる本である。通常の流通に流していないので、この本にめぐり合えるのは本のわずかな人だけである。

「ぜいたくな」と思った。

確かにこの贅沢さ、単純に金を出しただけでは実現できないと思う。

けれどなぜ、通常の流通に流していないと分かるのか。この本が普通の本と違うのは IBSN が振られていないのである。どこにも書いていない。だから amazon には載らないであろうし、greemixi でレビューも書けない。この hatena からもリンクを作れない。インターネット、Web を通じて、膨大な量の情報に我々はアクセス出来る。量が多いからそう見えるのは仕方ないにしても、それが全てではない。手間を掛けないと手に入らない物には、やはりそれだけの価値がある物もあるのだ。そう思った。

*1:本だけでなく、映像や CD なども可能である。

*2:阿含の仏教」 櫻部 建 著 文栄堂 No IBSN

*3:ここでは Desktop Publishing の事