トリノ・オリンピック雑感。

確か、1月の半ばだったと思う。ちょうど前の記事にも書いたように、会社でリストラの対象になり、これからどうしようかと考え込んでいた時期だった。真夜中、疲れてはいたが、あまり眠くもなかったので、考え事をしながら何気なくつけたテレビで NHK 特集の再放送をやっていた。「女子フィギュアレベル 4への挑戦」そんなタイトルだったと思う。
荒川静香選手と安藤選手のトリノに向けた取り組みについての番組だった。番組中、荒川選手がロシアのインターネットカフェファンメッセージを読んでいる部分が非常に印象的だった。異郷の地にて一人。じっと真剣にメッセージを見る姿。孤独の中で何を考えていたのだろうか。結局、そのファンメッセージが彼女にとって転機をもたらしたのだと思う。

フィギュアスケートの採点方式が2004年から2005年より従来の相対評価から技術基準を明確にした絶対評価に切り替わった事をきっかけに、荒川選手は今までの自分の持ち味を生かしづらくなり、成績が振るわなかったそうだ。得意のイナバウワーが新採点法では全く技術点にならないのがそれを象徴している。2004年度の世界選手権で優勝してから、新採点法が導入され、環境が激変。それ以降、2005年度の世界選手権で9位に落ち込み、それから、色々と苦労するようになったようだ。結局、練習もいかにしてレベル4に到達するか、高得点をはじき出すか。そうした数値目標の追求になってきて、モチベーションの維持にかなり苦労していたようだ。「一体何の為にスケートをするのか。」彼女自身、自分の立ち位置がわからなくなって来ていたのだろう。

その頃には今の会社に4/1以降、私の席が無くなることははっきりしていた。この3年ほどは、自分でも努力がなんか結果的に実にならないと感じていた。研究・開発の部門にいながら、会社の業績悪化に伴い、社内では「技術の追求」より「事業の確立」が大事だと言う風潮が流れていた。技術的なシーズの追求はだんだんタブー視され始め、二ース指向で売上、収益の予測数値がないと何も出来ないようになっていた。皮肉にも臆病になり、技術力でマーケットを切り開くという積極的な姿勢が取りにくくなっていった。そして転籍先を紹介され、決断を要求されていたのだ。「一体何の為に技術の仕事をしているんだろう。」私自身、自分の立ち位置がわからなくなって来ていたのだろう。

テレビの中で新採点法への対応で試行錯誤を繰り返す荒川選手にそんな自分の現状を重ね合わせてしまったのだろう。いつの間にか食い入るように観ていた自分がいた。ロシアのネットカフェで読んでいたファンメッセージには「私は荒川選手の優雅なスケートが好きだし、あの美しいイナバウワーを是非観たい」という主旨の物が沢山あったそうだ。そうしたメッセージに心を押され、ただ自分らしい優雅で美しいスケートを滑ると言う理由で、彼女はオリンピックであえて得点にならないイナバウワーをフリーの演目に入れることを決意したらしい。そして、新採点方式の不利な状況を乗り越えて、自分の理想を実現する為に、コーチもフリー演技のプログラムや曲まで、オリンピックの3ヶ月前の段階で全て変えてしまった。大きな変更だったと思う。

スランプに突入し、悩んだ末に、周りの評価や世間での価値ではなく、どこまでも自分の理想を追求する事を選んだ24歳の決断に、計らずも心を動かされた自分がいた。フィギュアスケートについては何も知らなかったし、彼女の名前をはじめて意識したのはその番組だったと思う。ただ、その決断を行った勇気に敬意すら感じたのだ。

そのころ、私自身、転籍先をどうするか、いっそのこと退職して自分で探すか、先の見えない状況は続いていた。年齢的にも管理職的な立場での仕事を要求されがちになり、純粋に技術を追求する事を諦めなければならないと予感もあった。ただ技術の追求が自分の適性にあっているかどうかも迷っていたと思う。幾つかの転職サイトに登録して情報を探そうと思ったが、あまりに詳細な自己紹介の入力に、何か自分の人生を部分ごとにばらして、バーゲンで安売りするような感覚を覚えた。結局最初の登録だけで、どれも中途半端に終って、何もしなかった。ちょっと自分のやる気を疑ったけど、それが自分らしさだと思った。

その後、全くの転職か関係会社への転籍かで、選択肢を3つまで絞込んだ。そして考え抜いた上、ソフトウェア技術者として実力を発揮できると言う理由で、とある関係会社への転籍を決めた。知り合いもいないし、自由度も低い、経営的にも3つの中では一番苦しい所だと思う。しかし自分の理想の為には一番いい決断だったと思う。けして「最高」だとは思わない。しかし「最善」だろうと考えている。それが人生だろう。

2006年2月24日(金)オリンピック女子フィギュア、フリーの演技は不覚にも朝寝坊して生中継は見逃してしまったが、朝のニュースで荒川選手が金メダルを決めたことを知った時は非常に嬉しかった。多分、オリンピックで日本選手が金メダルを取って、あれだけ喜んだのは初めてだったと思う。それは日本人が金メダルを取ったからではない。荒川静香が金メダルを取ったからだ。

■ありがとう p(^o^)q

「・・・・・・・・この「金メダル」が今後一人でも多くの人の希望・勇気・元気につなげる事ができたら私は幸せと思うし、メダルの重みと輝きのように私自身、もっともっと輝いていけるようにこれからも楽しく、そして努力したいと思います。 ・・・・・・・・」

荒川静香公式ホームページ・メッセージコーナーより引用

これからの彼女の人生が、輝きに満ちた幸多き人生であることを強く願いたい。

先日、新聞を読んでいると企業面の記事に私の転籍先が今の会社から、某大手 SI ベンダに売却されたと書いてあった。買収を行った SI ベンダは「当社が欲しい技術を持っているからだ」とその理由を公表していた。企業名も変るがまだ決まっていない。これで懸念事項だった転籍先の経営基盤については、完全に払拭された事になる。技術の仕事により打ち込みやすくなる。

ありがたい。しかし、人生何があるか分からない物だ。