[仕事][考え][工学] 「時をかける少女」の仕事術をみて思うこと。


細田さんの場合、コンテを描き上げた段階で、完成したフィルムに近いイメージができあがっているわけですよね。

細田 絵コンテというのは設計図ですからね。完成させられる事が保証できるものでないと、設計図にならないではじゃないですか。「こうしたい」という夢を詰め込んでも、それが実現できなくては、設計図とはいえないからね。そういう意味では、コンテ段階である程度は作品として実現可能なものにするようにしている。そういう意味では、コンテ段階である程度は作品として実現可能なものにするようにしています。もちろん、画を作っていく過程で作画監督美術監督、あるいは撮影監督といった現場のスタッフがそれを膨らませてくれるのを期待していますが、たとえ、膨らませてもらえなくても作品として成立するようには心がけています。

ANIMESTYLE ARCHIVE 「時をかける少女 絵コンテ∞細田 守」 飛鳥新社より。

時をかける少女」という作品を観て*1 の感想であるが、筋書きがしっかりしている上に、台詞から、声、作画、背景、音楽、主題歌などの作りこみがすごいと思った。単に凝っているのではない。いわいる気持ちがこもっており、映像というよりも、生で観ている演劇に近いものを感じた。「神は細部に宿る」という言葉を地でいく作品だと思う。どこをとっても作り手のこだわりと同時に、作品の主題(テーマ)に対する敬意を感じた。それ故に絵コンテ集の細田さんのインタビューを読んで思ったのは、細部を気持ちを込めて作りこめるのは、作品の背骨にあたる脚本やコンテの段階で、実現可能性まで含めて、思索・検討が十分に練られているからであり、土台がしっかりしているからこそ、各担当は安心して自分の仕事に打ち込めたのだろうかということである。
私自身はソフトウェアを生業にしているが、ソフトウェアは従来の工業製品に比べ、映像作品に近い性質をもっていると思うことがある。ハードウェア製品の場合は、設計図があり、それを製造部門が生産設備を整えて、製作していくが、ソフトウェアの場合、実装作業とはソースコードにプログラムを書くことであるが、実際に製品として出荷されるのは、それを実行形式にしたものであり、映像と同様に、量産コストは、ソースコード(映像フィルム)の作成・検証作業に比べれば、ずっと安いものである。それ故に、ソースコードのプログラミングは実装というよりも、設計に近いと言う論を聞くこともある。ただ個人的には、ここで細田さんが書いているように、プログラムの前に、システムのアウトラインなり全体の構成を顧客の要求からブレイクダウンしていき、納期、予算の制約の中で、実現可能なアウトラインを見つけるように心がけたいと思っている。

ただ、ソフトウェアの世界では、画面や帳票をベースに顧客の「こうしたい」という要望をまとめて行き、イメージが固まった段階で実装に入るケースが多いと思う。納期や予算に余裕がないせいだろうか。それとそもそも設計とは何かという共通認識がないせいかも知れない。ただ、本来実装に入る上で必要なのはイメージではなく、意図、設計事由(なぜそうするのか)なはずである。イメージだけでは、ぶれも大きいし、それはそのまま工程遅延や、製品品質の低下につながっているケースも多いと思うのだ。

自分の仕事を客観的に見直したいわけですね。

細田 自分が書いたミニコンテを見ながら、「なんだ、こんな当たり前な流れにしやがって!」と思いながら清書しているわけだから、客観的といえば、客観的なんだろうな。自分で何度も推敲するんですよ。シナリオを読み込む作業、ミニコンテを書く作業、清書をする作業でそれそれ内容や映像について推敲する。僕の場合はコンテを書くときに、先に画を全部描いて、後からト書きを書き込むんです。ト書きを書いている途中で「おやっ」と気がついて、画そのものを書き直すなんてこともよくあるわけですよ。全部ト書きを書き終わった後に、タイムを入れるんです。タイムを計っていて「おやっ」と思う事があって、それでまたシーンをまるごと直したりとかいう事もある。そうやって何度も推敲することによって、自分の中で完成度を上げている感覚があります。

ANIMESTYLE ARCHIVE 「時をかける少女 絵コンテ∞細田 守」 飛鳥新社より

実際に SE 兼 プログラマをやっているが、プログラミングの作業は実際に OS などの環境の制約条件の下で、実行可能なものを作っていくが、動くがゆえに、細部に思考が行ってしまい、課題全体が見えなくなってしまう傾向にある。SE 兼 プログラマでよかったなと思うのは、設計作業を通して、ある程度の意図や事由を明確にした上で、それを実現させるためのアウトラインが頭の中に出来上がっているので、寄り道をせずにプログラミング出来ることであろうか。もちろん、羅針盤として、自分の書いた設計図を振り返ってみることもある。ただ、設計段階で、データ構造、アルゴリズムとしての実現可能性や作業効率を考えたモジュールについて、一度は考える機会があるからだろうか、設計者として、実装作業は、システムのコアに当たるロジックの処理の部分を担うようにしているが、実際の実装作業では、動くと同時に他の作業者からの使いやすさまで考慮できる精神的な余裕も多少は持てるようになったかも知れない。*2

ただ、設計の推敲に時間をかけるという習慣は薄いかもしれない。「時かけ」の絵コンテの推敲のように、やり直しというわけには行かない。たぶんに工程進捗状況を成果物の量で図るせいかもしれない。推敲→やり直しというのは、工程遅延、トラブル発生として問題視されるのが落ちなのだ。ただ悲しいことに、ソフトウェア設計の工学的な検証方法というのは、他の工学分野から観れば驚きかもしれないが、実は定量的に行う方法は確立されていない。多分確立されることはないかもしれない。それ故に設計作業は、映画の絵コンテを描くように、実現可能性を見据えながら、試行錯誤を繰りかえさざろう得ないと思うし、実際に設計を終えて、実装に差し掛かってから初めて、より最適な設計を思いつくこともあるし、それ以上にシステムの開発が一段落して、実際に稼動してから、動いているシステムを観ながら、初めて最適解が見えることも多い。しかし、理解されることはあまりない。*3何故だろうか。


細田 ・・・(略)・・・舞台は別にして、人物に関しては基本的なことはほとんどシナリオで決め込めた。コンテをやって改めて「素晴らしいシナリオだなあ」と思ったんですよ。
というのは
細田 絵コンテを書きながら、いろんなシミュレーションをするわけですよ。「ここをこういう感じで撮ると、次はこうだこうだ」と、ひとつと、ひとつのシーンでも何十通りの作り方をシミュレーションするんだけど、「時かけ」では最終的にシナリオに戻ってくるんですね。さんざんもっぱらシミュレーションをやった挙句、それはシナリオが正しいと検証する事でしかなかったという事が何度もあったんです。そういったシナリオの凄さは、今回初めて味わったんじゃないかな。それぐらいシナリオに恵まれたということだと思いますけどね。
作品世界をつくることに専念できたわけですね。
細田 そうでした。世界を作ることに専念できた。・・・・(略)・・・
ANIMESTYLE ARCHIVE 「時をかける少女 絵コンテ∞細田 守」 飛鳥新社より

時をかける少女」はメッセージ性の強い作品だと思う。細田監督も、「いかに売るか」といったマーケティングをまるで考慮せずに、ただ伝えたいメッセージをいかに質の高い作品として表現するかという目的・趣旨を最後までぶれることなく貫いたと思う。ゆえにだろう、基本となる企画・プロットに筋が通っていたからこそ、シナリオの完成度が高かったのだろう。それと引用したインタビュー記事には、「どういう脚本であろうが、作品は監督の見方というものに支配される」と答えていたが、そう言い切るだけの推敲を繰り返してきたからこそだろう。だからこそ、実際の作品もそのシナリオの質の高さを十分に生かしきった演出が実現し、あの強烈な印象が生まれたのだと思う。やはり基本は、伝えたい、表現したい気持ちだと思うのだ。

最初に「時かけ」を観たときに感じたのは、強烈なカタルシスだった。単純に感動したわけではない。「共感」といった方が良いだろう。気がつくと、珍しく、知人に強く勧めていた。と同時に、作り手の意図・気持ちが知りたくなり、絵コンテを買い、品薄の Notebookを注文し、ネットで情報を集めていた。表現者としての仕事でここまで気持ちのこもった物を見るのは久々だった。

と同時に、自分の仕事を振り返って、今の SE としてのシステム構築を通じて、私はどこに気持ちを込めているのか。自問してみた。SE としてのシステム構築では、利用者に対して、出来上がったシステムの運用を通じて、共同作業者には設計文書やライブラリモジュールを提供することで影響を与えている。その過程で私は何かを伝えようとしているのか。考えてみた。確かにカットオーバー後に、実際に物が動くのをみると、ある種の感慨に浸ることは出来るが、そうした自己満足で終わっていたのかもしれない。本当はその向こう側にある物に何が伝わったのか。それを見届けないといけないはずなのだか。・・・・・・

仕事に「気持ちを込める」って単純なことだけど、どこかに忘れて置いてきたままになってはないだろうか。映像の仕事と、ソフトウェアの仕事の共通性を考えながら、最近、そう思うことが多い。

今は希望や理想なんていう言葉とは程遠い現実で
昨日も明日も変わらない毎日 嫌なら辞めればいいじゃない
でも現実甘くないんだ 結局お金がなくちゃ何もできないんだ。
でも何の為に生きているの?

卵の殻を割らないと 食べられないように
自分の蓋を開けないと その中を二度と知ることはなく


今日の BGM、「境界線」@ vol.best by 奥 華子

*1:実際には3回ほど見た。一度目は何気なく、二度目はストーリーを追いながら、三度目は作画や美術や音楽をじっくり鑑賞しながらといった感じであろうか。

*2:もっとも、実際の工程では、余裕のないことが多いのだが、次の段階で 10 の時間を浮かすために、今の段階で、あえて、先を考え 7 余分な作業をしておくといった感じか。

*3:実際に技術的なポテンシャルを上げる上で出荷後レビューを行うことは非常に重要だが、実際にはほとんど行われていないらしい。