距離感


ふと目にした光景だが、なぜか奥行きのある光景に感じてしまった。実際に地面はすぐそばにあるのだが、何ゆえか山の上から、ふもとを眺めている気分だった。多分、間近に見たまだ緑色の紅葉の大小が、奥行きを演出して、そう感じさせてしまうのだろうか。

写真に撮ってみたが、そうした感じはあまり表現できない。写真は見たままに光景を移すことが出来るが、人の視覚には、多分見たままの像以上の情報が載ってきているのだろう。その差が一体どこから来るのか、考えてみれば不思議な話である。人は視覚において、三次元の現実を二次元の網膜に映しているのである。何処かで、距離感を工夫して表現していると思うが、結局何がしか平面的な像である以上の意味を乗せていると思う。では、その視覚に上乗せされた立体感をわれわれはどこで認識しているのだろうか。少なくとも感覚で得た情報ではないはずだ。・・何を考えているか表現が難しいが、見ることと見たものを認識することはどうも、本質的に違うことのように思えてきた。



何の花だろうか。多分、木の幹がすべすべしているが、百日紅でもなさそうだ。若干どくだみの花にも似ている。枝にめいいっぱい張った、葉っぱの上に乗せて咲くような白い花が、道案内の目印のように、視線を奥に誘う。見た目は静かだが、蜂などの虫が、蜜を求めて花に頭を突っ込んでは飛びと騒がしい。蜂そのものをカメラに収めようと思ったが、どうも、うまく行かない。やはり携帯のカメラでは限界があるようだ。

朝もやの 黄色に支那を 思いけり
考葦子