[こころ][つれづれ] 言葉によって伝わるもの

最近、読み直した哲学の本*1 には「言葉」に関する考察が書いてある。以下のような事が書いてあった。非常に興味深いと思う。

「人の数だけ人がいるのに、言葉の意味はすべての人に共通してたったひとつなのは、なぜなんだろう。それは人の脳や遺伝子にそんなふうにインプットされているからですって、科学好きの君なら答える。科学というものの考え方については、後でじっくり考えることにして、とりあえずここではその考えを認めるとしよう。でも、認めたとしても、その言葉がその意味なのはなぜなのか、その答えにはなってないとは思わないか。」

最近、自分の気持ちを言葉によって、上手く表現できない事が多い。前にも書いたが心情的にそうなんだろうと思う。、ただ似たような経験をした人が39度の熱を出した話などを読むとなんかその状況はよく理解できる。実際に不意に考え事にはまってしまって、仕事がストップしてしまう事も多い。ソフトウェアの仕事をしているので、プログラムの設計を考えながら、ノートに図を書いたり、エディタにメモを打ったりするが、その辺の思考回路が割り込みで止まってしまうのである。あがなえない力である。*2確かに無理に仕事の頭を廻そうとすると頭から煙を噴きそうな状態になる。
極めて主観的なことであり、言葉で上手く表現できないにも関わらず、言葉によって伝えられた物がそこに響くと言うのは改めて考えると非常に不思議な物である。書き手の気持ちをそっくりそのまま汲み取っている訳ではないと思う。しかし伝えられた言葉の中から、共有できる何かを感じ取っているのである。詩とはそのような事の為にある言葉の使い方なのだろうか。

背が伸びるにつれて 伝えたいことも増えてった
宛名のない手紙も 崩れるほど重なった
「僕は元気でいるよ」「心配事も少ないよ」
ただ一つ 今も思い出すよ

予報外れの雨に打たれて泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかったあの日を

「天体観測 in jupiter by Bump Of Chicken*3 より」

最近よく聞いているバンドの曲の一つである。詩を書いた時の状況や心情はどうであれ、経験した事のない話であっても、確かに私の心に響く。多分にその詩を書くに至った感情に近い物を私も感じているのだろうか。何をもて共感しているのであろうか。この場合、私の心情と作詩の主と共通なのは言葉の意味ではないと思う。では何なのであろうか。・・・・

比喩(メタファー)とは単なる修辞(レトリック)ではなく、直接、言葉にならない物を把握するための基本的な方法なのだろうか。昔から日本語の世界では修辞(レトリック)は言葉の飾りという事で文章においてはあまり重要でかつ本質ではないとされて来た。元々は修辞は古代ギリシャにおいて討論における有効な武器として発展してきた経緯があると読んだ事がある。つまり積極的な(半分は強制的な?)意味の共有、伝達(戦い)の中で生まれた物であり、コミュニケーションを明確にする事を是をする世界においては、生きていく上で非常に重要なのだったのだろう。ただ「阿吽の呼吸」と言う言葉の通り、ただ意思の疎通を言葉で表現せずにそのままにしておく事を「おくゆかし」とした日本人にとって修辞の重要性は低かったのかも知れない。というか明確にすべきでは無い事だったのか。・・・・・・・・

考えて行くと切りがない。こうして言葉にならない想いに悩む自分とそれを客観的に見ながら無限に循環的な思考に陥ろうとする自分と、自分はどこにあるのだろうか。

*1:14歳からの哲学 考えるための教科書

*2:今現在、私の後ろの会議テーブルでは次期製品の開発戦略について、話合いがなされていてその声が聞こえてくる。がどうしようもない。

*3:asin:B00005V4Z6