3年前の誰かの仕事。(who's work in 2001)

スラッシュドットジャパンの記事にこんな物があった。

小説自動生成ソフト「七度文庫」 | スラド

いわいる自動小説生成プログラムである。しかも実際に開発されたのは3年前、だから 2001年である。ふとこんな事を思い出した。

昔、科学万博 つくば' 85 という行事があった。同じ万博でも来る愛知万博が地球環境の保護や自然との共生を謳っているの違い、科学技術によって開かれる明るい21世紀、未来の世界のようなテーマで有ったと思う。約20年前、随世の感がある。まだ鉄腕アトムの世界を近い将来誰かが実現してくれると素直に思えた時代だったような気がする。
その協賛行事に「高校生作文コンクール」*1と言うのがあった。実はその第2回に入選を頂いている。その時のテーマは「2001年 私の仕事」であった。16年後の社会と自分を想像し、21世紀の始まりに「私は何をもって職業としているか」という事を書くというものだ。

その特選(一等賞)に選ばれた作文は高校一年生の女の子の書いた短編小説の形式を取ったものであった。要約すると以下のような感じであった。

私は小さな出版社の半専属作家のような物書きである。ものぐさで遅筆な私は、機械オンチでもあり、Fax も(当然、ネットも)無く、未だに昔ながらの原稿用紙に原稿を書き、催促に来た担当者にそれを渡すという風習を21世紀になっても未だ続けている。いい加減催促されても、小説も書こうとせず、書評や雑文で稼いでいる。

ある日、私は書評の原稿を催促来た編集者に、書評を頼まれた別々の作家による2つの小説が文体も構成もそっくりであり、何か不自然で気になったと告げた。そうすると彼女は
その2つの小説が実験小説であり、機械的に生成された物である事を私に告げた。その機械は自信の経験や想像を適当に入力するとさらさらっと小説を生成してくれるらしい。

機械が人間の領域にじわじわ侵入してきたの確かである。私は昔読んだアンドロイドと人間の戦争を書いたSF小説を読んだ時のことを思い出した。『私は君に呑まれないわよ』、昔つぶやいた言葉を思い返していた。私は編集者が帰った後久々に原稿用紙に向かって小説を書き始めた。忘れていた自分の本職を思い出したのである。

本棚の奥から引っ張り出した当時の作品集を読んで、やはり 1985 年という時代を感じると共に 16歳とは思えない文章の落ち着きぶりに確かに他の作品とは群を抜いていると思った。しかし彼女が2001年にその出現を予言した自動小説生成の最初の適用分野が官能小説であるという /. の記事をその当時読めば、さらに今現在読めばどのような感想を抱くであろうか。変らない人間の性に苦笑するのであろうか。それともアダルトの分野からビデオの普及が始まったことに准えて、やはり少しばかり危機感を抱くのであろうか。それとも「機械も使いようだな」と妙に納得するのか。一度、感想を聞いてみたい物だ。*2

ついでに私の作文がなぜ選ばれたのかもついでに知りたいものだ。題材からして特定の誰かが熱意を持って押しでもしなければ、まず入選しなかったと思う。ちなみに当時の選考委員(肩書きは当時のもの)は、松本零士(漫画家)、赤塚行雄(社会評論家)、釜本邦茂(サッカー元日本代表)、残間里江子(メディア・プロデューサー)、楢本 望(元、月刊就職ジャーナル編集長)、大沼 淳(全国専修学校各種学校総連合会長)、田島四郎(東京商科学院専門学校校長)の七名であった。ちなみに私の2001年私の仕事は全面核戦争後、辛うじて生き残った地球の生態系の回復をスペースコロニーと地上とを行き来しながら行う科学者という、他の誰もが書く事の無かったカタストロフィックな状況設定の元でしか成立し得ない物であった。*3当時、ガンダムをきっかけにした巨大ロボットのアニメが流行り、「北斗の拳」が少年ジャンプに連載中だったと思う。夢中になって見て、読んでいたと思う。あの頃は世間も狭く、想像と現実が混同していたような気がする。

実際に予言を当てた特選と入選との違いは、やはりこの辺なんだろうな。

*1:当時の東京商科学院専門学校が主催、万博協会が後援

*2:しかしながら、その氏名でググッてみても手掛かりはつかめず。結婚して名前が変っていたらどうしようもないし。

*3:当然であるが、私の予測が当たらなかった事は嬉しく思う。