えんぎ

冷蔵庫の中が少なくなって来たので、そろそろ買い物に行かないといけない。母親は相変わらずであるが、最近は出歩く事も無く冷蔵庫の中のものを適当に有り合わせて、晩御飯を作るぐらいにはなった。ただ何時までも続くのか少し不安に思う時も有る。今、母親は母親の現実の中で生きており、それは私の現実と違った世界なのである。生活の基点となる物をすべて、自分で始末して、拠り所無く、ただ外に怯えながら暮している母親と、いつもどおり会社に行き、仕事をして生活する私。ただそれまで生活面で私が母親に依存していた物はかなり崩れ去ってしまったので、その部分を補い、生活する術を覚えるのに結構大変である。まあ自立のための訓練だと思えば、それはそれで納得のいく話である。そう、一つ屋根の下の元、異なる現実が並行して存在する。考えてみれば不思議な物だと思う。
私から見ると(多分、他の人から見ても)母親の言いようの無い不安感は、多分に根拠の無い物だと思う。しかし、母親にはそれが現実であり、実際の出来事なんだろう。悲劇的な終末が迫っていると、いつも朝になると深刻なな顔をして、夜には今日何も起こらなかった事に困惑と安堵を交えて、先行きの不透明さに不安を覚える。立場を変えて考えれば、今、自分の人生が全くの虚構の中にある。信じていた物が全てウソだったとしたら、やはり相当、ショックだし不安になるだろう。そう考えると母親の苦悩も少し理解できるような気がする。今日、「今までの人生を振り返って考えていたけど、本当に後悔する事ばかりや・・・」とつぶやいていたが、忘れていた記憶の中にも何かカギがあるような気もするし、そう・・・まるで自分の作った舞台の上で悲劇を自作自演している。演じているうちに演技である事も忘れてしまった。そう言った感じである。

「演技」か。・・・・やはり付き合った方が良いのであろうか。

グッバイ、レーニン! [DVD]」という映画がある。見た事は無いが、紹介文や、論評は読んだ事がある。東ドイツの誇り高き愛国主義者であり、病気に臥していた為に東西ドイツの統一を知らない母親の為に、ショックを与えないために東ドイツの旧体制が続いているように苦心惨憺して演技・演出を続ける親孝行な息子の物語である。いつかは現実を知るだろう。事実を知る事は時として残酷でもある。この映画の結末は知らないが、やはりタイトルから判断して、何らかの形で母親は現実を受け止めたのであろうか。色々と考えさせられる内容である。やはり現実を知らずに、虚構の世界に生きているならば、傍から見ればそれは芝居なのだろうか。本人は信じきっているが、それは信じきっているだけで、何の根拠も無い。母親の場合はシナリオの無い悲劇を、ただ無心に演じている、そう考える事もできる。だからいきなりそれを中断するのは、かなり残酷なような気がする。逆に考えるなら、その悲劇に参加して、シナリオを書き換えて行き、最後は悲劇から外れていくようにすればよいのではないか。それが一番自然なような気がする。前の記事で紹介した「宗教と科学の接点」では箱庭療法*1というものが紹介されていたが、演劇だって持って行き様に拠れば、自分を取り戻すきっかけになるのかもしれない。しかしある意味、母親の世界に取り込まれないように慎重さも必要であろう。

クリフォード以前は、人の信念を倫理に照らして論じる事はできないと考えられていた。何であれ好きなものを信じればいい。『鏡の国のアリス』の白の女王のように、ありえないことを信じるのも自由だ。アリスはありえないことなんて信じれないと抗議すると、女王は答えた。

「そりゃあ練習が足りないからよ。わたしがあんたの年頃には、まいにち半時間は稽古したものですよ。そうよ、ときにはありえないことを6つも朝飯前に信じていたりしたものよ」

ソフトウェア・プロジェクト管理の仕事ほど、朝飯前に6つのありえないことを信じる能力を要求される仕事はどこにもないだろう。われわれはいつも、後になれば不可能だったとわかる納期、予算、パフォーマンス要素を、実現可能だと自分に信じ込ませるよう期待されている。
熊とワルツを - リスクを愉しむプロジェクト管理』の P4 より引用 )

考えてみれば、根拠のない虚構の中で、悲劇を演じなければならないのは、時として私にだってありえる話である。何となくこのソフトウェア業界に、心を病んだ人が多いのも分かるような気がする。現実を直視して、そこから最大限、最善となるシナリオを見つけるかって、別に今の母親との関係だけで必要な物でもなさそうだ。ソフトウェアも、人の心もそれぞれ、見えないし、形も重さも無い。その辺なんだろうか。

こういう時、瞑想を習っていたことは有り難い物だと思う。以前の記事で瞑想の要点は「止観」(止=心の集中、観=心の拡大)であると書いたことがあるが、瞑想を通じて、観の技法によって最適なシナリオを見つける事を助け、止の技法によって見つけたシナリオを外乱に負けることなく、着実に実施していく集中力を高める。実にこうした心の働きを高める事については、瞑想はその方法論の宝庫である。やはり現実の中で練磨する事で理解も深まるような気がする。例えば、随分気落ちして、塞ぎ込んでしまいそうな時でも、呼吸法で呼吸を整えて吐く息を長くして、体の中から黒いもやを全て吐く息に載せてすべて外に出すと観想するだけで、気分を転換して整える事ができる。この辺については書き始めると長くなるので、また機会をみて書こうと思う。

グッバイ、レーニン! [DVD] 熊とワルツを - リスクを愉しむプロジェクト管理

*1:患者に箱庭を自由に創作させて、その自己表現の過程で自己認識を深めて、心身のバランスの回復を支援するという物らしい。