今朝も雨が降っていたので、歩いて駅に行く。駅までの道沿い、川に沿って歩いていると、少しつづ晴れて来たが、雨脚は弱まらず。狐の嫁入りか。
川下に向かって見通しの良い向こうに、薄暗く落ちるような灰色の雨雲を背に、鮮やかな虹。5色だろうか。きれいで途切れる事の無いアーチを描いている。冬の花火と同じで、寒さが色をひときわ彩やかにしているのか。
カメラつきの携帯を胸ポケットに探すが、今日に限って家に置き忘れ。やがて消えていくものはやはり、そのままにして置くのが良いのだろうか。向こうから人や自転車がこちらに向かってくるが、誰も気にも留めていない模様。少しもったいない気もする。
「義民」、昨日の日曜日に、母親のことで相談がてら、知人と話をしている時に出てきた言葉。
道端に佇むお地蔵さんにたまに、いわれを書いた板が立っているときが有る。そのいわれの中に、たまにこの義民を祭るが故にと言うのがある。

相談に乗ってもらった知人曰く、家系を江戸時代まで辿ると、若くして刑を得て処刑された人がいるそうな。昔、飢饉がおこり、村中食うに困るやと言う状況下、相談した結果、彼はあと2、3名を伴い代表で代官所に年貢免除の嘆願交渉に行ったそうな。身分を破る嘆願は当時はご法度。当然、死を覚悟した行為であったし、やはり刑死となったらしい。そんな無名の人たちが当時は何人かいて、当時の人々は「義民」といって、地蔵を建てて敬ったそうだ。命を預かって、村の代表になるぐらいだから、惜しまれもしただろう。彼らもその家族と共に描いていた未来や共に想い起こす過去もあったろうに。家族や仲間の未来を残すために、未来を閉ざす覚悟を決めた時。彼は最後に何をみていたのだろうか。子供もいただろうし、やはりその未来を願っていたのだろうか。

日本では、高貴で功績の会った人を杜を作って神社に祭る習慣が有る。生前にやはり庶民から離れた所に住む人々だからこそ、杜を作って祭ったのだろう。しかしやもう得ない事情で庶民の中から「義民」となった彼らには、杜の中の社より、より近く路傍に佇むお地蔵さんの方が似合っていると思う。家族や仲間はやはり近い方が良いのだろう。未来を閉ざしたその代わりに、彼らに何を与える事ができるか。心なら与えることが出来る、その距離感が大切なところなんだろうと思う。

兄に子供が生まれた時に、子供の大切さって言葉では表現できないと言っていた。実際に持ってみれば分かると。昨日も 90才近いから母方の祖母から電話があり、母の病気のことを気遣って、「出来れば行ってやりたい、行ってやりたい」と繰り返していた。年老いて一人で歩く事もままならなくなった自分をそうして悔やんでいる祖母の声を聞くと、子供の事が本当に心配なんだろうと思った。残念ながら自分には少し理解できない。母親は私のことをどう思っているのだろうか。

相談に乗ってもらった知人に占星術で見てもらったところ、やはり時間が掛かりそうだということだった。時間がかかるという事は、その間に時間をかけてやらないといけないことがある。それを見ないといけないという事なのだろうか。

春遠く、雨は冷たく、雲暗く
割って入った、色彩の虹

あの虹のアーケードをくぐる事は非常に難しいことだと思う。しかし、そこに向かって歩いて行く事が何の意味も持たない訳ではない。そう信じる事にしよう。駅への道すがらそんな事を考えていた。