「チェチェン、やめられない戦争」について

チェチェン やめられない戦争

チェチェン やめられない戦争

この本を読んだきっかけは著者、アンナ・ポリトコフスカヤ女史に関する記事を読んだ事だった。前の記事でも書いたが新聞記事でのインタビューで彼女はチェチェンでの活動を

「皆を救えるわけではない。自分の仕事を逸脱していることも分かっている。だれど黙って見ていることはできない。」

と述べていた。確かにこの本は、冷静に現地の取材結果を元に状況を分析して書いた物ではない。ほとんど主観的に現地での取材、体験を告発的に、ややもすると感情的な調子で綴っている。最後のゲオルギー・デルルーギアン氏の論考があったので、状況を整理する事が出来たが、アンナ女史の本文だけでは正直、断片的な現地での状況しか伝わらず、何が真実なのかわからなくなった。
昔から、ロシア、もとい旧ソ連の情勢と言うのは、なかなかその事実を把握するのが難しかった。昔から何人かのソ連ウォッチャー、ソ連評論家の方々がいたが、そうした人たちでも予測を当てるのは難しかったそうだ。そうした中、ソ連の情勢の予測に長けたある評論家がいたが、その秘密について取材を受けた時、

「特別な情報源は特に無い、ただ色んな新聞を丹念に読んで考えているだけだ。」

そう答えたらしい。厚いカーテンに隠された国だけに、特別に現地の事情を知るためのチャンネルや情報源が必要だと考えてしまうが、そうではないらしい。大局を見る上でそうした現地からの鮮度の良い情報は却って邪魔になるらしい。この「チェチェン やめられない戦争」を読んで、なぜかこんな事を思い出した。
確かにこの本では、チェチェンでの戦争について、

  1. 「戦時下のチェチェン
  2. 「ロシアの現実」
  3. 「この戦争は誰にとって必要か」

と、章を3つ立てて、現地の状況から戦争に関する過去の経緯、その背景について説明を試みているが、結局最初の「戦時下のチェチェン」の生々しい取材記録を感情的に書きなぐるような調子が最後まで支配的になってしまっていると思う。そうした主観的、感情的な所が、チェチェンに関する状況把握を難しくしていると思う。あまりにも生生しすぎるのである。やはり文字通り、命がけで、悩みながら、疲れきっていても、引きずるように現地に飛び込んで取材を重ねたからであろうか。

だからこそだと思うが、この本の本当の価値は、やはりアンナ女史が文字通りジャーナリストとしての仕事を逸脱してまで、命の危険を顧みずに、現地の一般庶民の中に入って集めたその生生しい声だと思う。

  • 度重なる空爆に「耳が聞こえなくなったらいいのに」とつぶやく難民の子ども。
  • 家族から離れて、一人チェチェンに暮らしていたが、戦争で文字通り寄る辺を失い、放置しておけば後は野垂れ死にするだけだった。ロシア人の独居老人。
  • 現地への戦災復興投資を見事に着服して、悠々と恵まれた暮しをする役人。
  • 戦争で精神的におかしくなり犯罪集団と化し現地で押し込み強盗を重ねる、ロシア連邦軍の兵士や情報機関の職員。
  • 夜中に強盗と化した政府軍に押し入られて、長男を誘拐されて身代金を要求され、村中を駆け回る農村の家族。
  • 軍への密告に怯えて、著者のインタビューに答えるにも物凄く慎重にならざろう得ない現地の住民。そして実際に殺されてしまった人達。
  • 取材で知り合った膠着状態の戦場へ派遣され、明日の命の不安に苛まされる大尉。
  • 戦争しか生業に出来ないか、そこから来る利益が大切なために、平和がくる事を忌々しく思う、政府軍関係者、反政府軍の指導者達。

ことわざに「一将功成して、万骨枯れる」とあるが、ここには文字通り、どのような理由であれ、戦争が一部の人間の利益を不当に確保するために、いかに大多数の人間を犠牲にして、関わった全ての人を結果的に不安に、不幸にして行くかの実際が克明に描かれている。特にアンナ女史が女性であり、母親でもあるという立場からか、主婦や老人といった人達の日常生活の視点から、感情の面も含めて、戦争と言う物を描くことに成功している。単なる戦記ものではほとんど描かれる事のない、いかにして日常生活が崩れて、精神が病んで行き、地域社会が壊れていくかが克明に記述されている。

それ故に民族、文化、地域の違いを超えた内容がここにはあると思う。本のタイトルの「チェチェン」の所を他の紛争地域に変えても、地理や習慣の描写に若干の修正を加えるだけでそのまま成り立ってしまうだろう。この本にはどうすればチェチェンでの紛争が止むのか、明確な答えは載っていない。世界でも3本の指に入る危険地域である。それだけ複雑で難しい問題であるのだが、この本には「この戦争を止めるにはどうすれば良いのかと」真剣に考えさせる何か情熱的なものを感じる。と同時に戦争の普遍性故にこの本に書いてあるチェチェンでの紛争について考える事は、単にロシアのカスピ海に近い、小さな国の紛争のみならず今、世界中で進行中の同様の戦争や紛争について考える事であり、チェチェンの問題がアンナ女史の希望通り、無事に終結する事は、大量の犠牲者、難民と戦争犯罪者を生み出している世界中の戦争の現場に希望の光をかざす事につながると考えられる。

今の国際情勢から考えると、私達にも決して無縁な話ではない。先のサッカーのアジアカップ重慶での決勝戦に於いて、地元の観衆の露骨な反日感情に困惑と反感を買った日本人は多かったと思うが、その背景に何があるか、多分に中国共産党の国策的な扇動もあるかも知れないが、根本的な原因について重慶大空襲などの歴史的なところまで含めて把握している日本人は少ないのではないだろうか。