ツケ

知人に巫女が一人居る。先日、その子と話しをしていたのだが、話題が最近の中国の反日暴動に関する事になったとき、彼女は

「けど、それって結局、明治時代に脱亜入欧で、韓国や中国に対して優越感で見下すような立場をとろうとした事のツケが廻って来たみたいな物でしょう。」

確かに的をついた意見だと思った。江戸時代は鎖国はしていたが、朝鮮通信史を通じて、朝鮮とは対等な立場で近所付き合いはしていたと思う。結局、明治維新における欧米諸国の植民地主義に対する脅迫概念的な情勢把握もあったのだろう。しかし侵略されると言う恐怖感と同時に、覇権を持ちたいという欲も出てきた気もする。*1
結局、人付き合いと同じで国と国との付き合いも自身の接し方次第となるのだろう。相手の持ち物に欲を出せば、非難を浴びるだろうし、傷つけ合えば、感情的なしこりはなかなか解ける事が無い。ただ国と国の場合、その期間が世代をまたがった歴史的な事実までが対象となる。本当に友好を築くには歴史に対する正確な認識とかなりの忍耐が要求されるはずである。
日本人、中国人。結局、そうした概念が仮想的なものだと思う。強いて言えば、同じ人間だし、1人1人は皆違う。そこに民族や人種というカテゴリ分けを強調して対立を煽る所に何がしかの悪意を感じてしまう。そう言えば「愛国心は破落戸(ならずもの)の奥の手。」と言う言葉があるらしい。イギリスの文豪サミュエル・ジョンソンの言葉だそうな。洋の東西を問わず、人間の業は共通するようだ。
巫女の彼女は「浦安の舞」という人々の平安を願う演目を練習しているらしい。本来の神道は争いを忌み、平安を希求する極めて平和主義的なものであり、軍国主義と結びついた明治維新以降の神道はこの国の伝統から言えば、かなりゆがんだ物だ。*2 ただそうした歴史的な歪みを見ようとせずに、国の伝統や愛国心の名のもとに利権主義と差別意識を美化するような論調をマスメディアでも 一般の BLOG でも数多く見るようになったと思う。思えらく、日本にも中国にもならず者が居るのだろうか。私達の心の中には、物をより分け善悪を振り分けて固定化してしまう心情がある。物を見る上で面倒でないし、優越感を感じる事ができるからだ。いわいる差別する心である。中国からの留学生が電車の中で中国語で会話をするのが怖くなったという新聞記事を読んだ。言葉や生まれ故郷に何の罪があるのだろうか。確か The Blue Hearts の「青空」と言う曲に「皮膚や目の色で一体この僕の何がわかると言うのだろう」という歌詞があったが、こうした詞が少しづつ私達の心に響かなくなってきたのだろうか。どうも難しい情勢に陥りつつあるような気がする。

*1:征韓論はその典型だろう。もっともこれは明治政府の恩賞にもれた不平分子の不満をそらすためと言う理由もあるのだが。

*2:それが証拠に明治初期の廃仏毀釈でも実はかなりの数の神社が統合と言う名の元に取り壊されてきた。