水辺。

買い物へ行く道すがら小学校の裏手の山を通るが、木の葉が多い茂り始めたせいか、日なたと木陰とコントラストがくっきりするようになって来た。昔、小学生の頃、この山に秘密基地を作って遊んでいた事を思い出す。懐かしい。

時期的に畑仕事をする人が多くなった。春と夏の境目。風の気持ちいい頃である。

河原に茂る芦の群生が若々しくて風情があるので、携帯で写真を取ろうとするが、やけにビニール袋や空き缶などのゴミが目に付く、ない場所を探すのに少し時間を食う。河原なので上流から流されてきてそのまま引っかかるのだろう。ちょっとした気遣いなのにと思う。些細な出来心なんだろうけど、集まれば影響は大きい物だ。河原は公の場所であって、我々の直接の生活圏でないだけに、遠慮のない人はやはり遠慮がないのであろうか。

先日、サイエンス ZERO を見ていると珊瑚礁の危機に関する話題をやっていた。沖縄の珊瑚礁が大変危機に瀕しているそうだ。レポートに出かけたかをり嬢も非常に驚いたようであったが、ある種、海の底で発生している環境汚染の様相もあるようだ。特に印象に残ったのが、珊瑚礁に発生している腫瘍状の病気である。珊瑚の一部が変成して、非常にもろくなってしまうらしい。要するに珊瑚の癌である。癌の原因が何かは良くわかっていない。が珊瑚も非常に複雑な構成を持つ生き物である、人間と同様にある種のストレスにやられているのだろうか。
番組はそれから、珊瑚礁の回復に関する研究についての紹介に移っていった。サイエンス ZERO は科学的な知見や知識を伝える事がその趣旨なので、それで良いと思う。
しかし、この手の環境問題に関する事を考える上で、私達の生活との関係や、私達が取るべき態度とかについて考える必要も出てくるように思う。科学的な調査によって 100 % 原因と結果がわからない事の方が多いので、その不確定な部分も含めて、何らかの判断をしないといけない時、どのような判断基準を用いるべきか。難しい問題である。*1
このような事を考える学問が実は応用倫理学であると知ったのは、村上陽一郎の安全学の本*2からだ。人の安全を考える上での想定外の事象には、大きく見れば環境問題も含まれると考えられる。科学的な事実を眼前にしたとき、それに対してどのような価値判断で意思決定を行うのか。ようは人の道を守るためにどのようにすれば良いのかと言う事だろう。今まで倫理学と言うと、どこか生活感のない机上の空論のような偏見を持っていたが、そう指摘されると確かに、私達の生活には今、こうした影響力の大きさに伴う倫理の問題が大きく横たわっているような気がする。

ただそれはそう難しい事でもない。例えば、沖縄出身のアーティスト Cocco が一時期リタイヤして、地元に帰ったとき、海岸に散らばる多くのゴミを見て、たった一人ではじめたゴミ拾いはやがて「ゴミゼロ大作戦」*3として多くの地元の人の共感を集めて一つの運動となった。結局アーティストとしての鋭い感受性が、見たままの現実に対して、なにがしか強烈な危機感を覚えたのだろう。要はサイエンス ZERO で紹介されるような科学的な知見や事実に加えて、普段生活していく上でおかしいと素直に感じた事をどのように公の場に反映させていくか。そうしたことを考えるのが、本来の倫理学と言う事になるのだろうか。*4 もしそうなら象牙の塔に閉まったままにしておくのは、少し問題だと思える。

こちらから歩み寄るためにも、少し勉強してみようと思った。ただ将来的に公の分野に関するシステム開発をしている今の自分の仕事をどう進めるか、そうした意思決定にも大きく関わる気がしている。

Heaven's hell (通常版) [DVD]

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*1:多分に環境行政なり環境関係の NPO の方々は常にそうした問題に直面しているのだろう。

*2:村上陽一郎著 「安全と安心の科学 (集英社新書)」より

*3:その記録が Heaven's hell (通常版) [DVD] として出版されている。

*4:mixi でも「ゴミゼロ大作戦」というコミュに入っているが、そこでのやり取りを通じても思うが、感性やモラルだけでゴミ問題に対峙するのは結構大変な気もする。マナー向上だけでは、今ひとつ徹底しないし。