お人好し。

ベトナムの南部にニャチャン(NHA TRANG)と言う都市がある。人口約30万人の比較的大きな都市で、ベトナムを代表するリゾート地でもある。このニャチャンの中心地に隆山寺(LONG SON Temple)と言う仏教寺院がある。その本堂の後方の裏手には小高い丘があり、そこには白亜の大きな仏像が祭られている。数多くのベトナムの人々がこの仏像に参詣する。この仏像の土台は六角形をなしており、その六面に六人の僧侶のリリーフが彫られているからだ。それぞれ正面から

  • ティック・クァン・ドック和尚
  • ティック・ニュエン・トゥエ和尚
  • テック・クァン・ホン和尚
  • ティック・ニュエン・ホン和尚
  • ティック・チェン・ミィ和尚

である。*1 特に正面にあるティック・クァン・ドック和尚のリリーフの前にある陶製の香炉には、ベトナムの人々によって、線香が絶えることなく供養されている。
ティック・クァン・ドック和尚、1963年1月11日、旧サイゴンにて死去。彼は国内でも著名で尊敬を集めた高僧であった。彼はその日弟子を一人つれて、旧サイゴン市の街頭で座を組んで瞑想を始めると弟子に自らの体に石油を掛けさせ、火をつけるよう命じた。たちまちの内に火達磨となる。悲嘆して彼に近づき、しゃがみ込んで手を合わせてる人もいた。彼は身を焼く炎にも微動だにせず、座を崩さずに瞑想を続け、息絶えて行った。ちょうどベトナム戦争真っ盛りな頃であった。
時の南ベトナム政府は実質的に傀儡政権であり、フランスからアメリカに引き継がれた植民地化政策が進められていた。また伝統を破棄し、キリスト教を広めるために、仏教が弾圧されていた時期でもある。ドック和尚は抗議の為に公衆の面前で自らの身を焼いたと言われている。その光景はカメラマン、マルコム・フラウネにより写真となり、全世界に配信され、アメリカでは雑誌「ライフ」の表紙を飾ったそうな。当時のケネディ大統領はこの写真に深く驚愕し、ベトナム戦争から撤退を急ぐことを真剣に考え始めたとも言われている。また当時の南ベトナム政府の権力者の妻は「あれは単なる人間バーベキューよ」と発言し、全世界から非難を浴びたそうだ。とにかく衝撃的な抗議手段と死を恐れず、身を焼く炎にも微動だもしないその精神力とは多くの人が強烈な印象を与えたのだ。*2
今でも、イラクイスラエルでも自らの命を絶つ事で、軍事的な強権主義にたいする抵抗を行う人々がいる。しかし何かが決定的に違う。イラクイスラエルでは数多くの命を巻き添えにして、敵を破壊する事が目的であり、半分は自暴自棄であろう。何を積極的に表現し生み出したいわけでも無いし、結果的に憎悪の連鎖を生んでしまう。しかし、ティック・クァン・ドック和尚を始めとする。ベトナムの六師は、誰も傷つけることなく、破壊する事もない。文字通り自らを自分の意志で灯明と成す事で、抵抗の強い意志を表現したに過ぎない。当然誰にでもできる事ではない。*3だからこそ彼の名前と魂は死んで40年以上経つ今日でも、ベトナムの人々の心に生きていると思う。絶えることの無い線香はその証であろう。ベトナム戦争を敵に対する憎しみではなく、純粋な悲しみに昇華したという意味で彼らは自らの命を以って、数多くの人*4を救ったと考えたい。欧米のメディアが優位である今日、ほとんど報道される事も無いが、今でもベトナムにはアメリカ軍のダイオキシン枯葉剤による後遺症を始めとする、苦しんでいる戦争犠牲者が数多くいる。それでもベトナム戦争終結から 30年を過ぎ、ベトナム政府は*5かつての敵国であり、総力を以ってインドシナ半島から駆逐したアメリカと握手しようとしている。昨今の中国での反日暴動の事を思えば、奇跡に近いような気がする。

ティック・クァン・ドック和尚が仮にその様子をみれば、どう思うだろうか。それに彼は本当に一体何を考えて、あのような行為に及んだのか。捨身供養という言葉が頭によぎった。と同時にこんな話を思い出した。

マハーナーマンは好人物であった。小柄で小太りで丸顔でいつも笑っている。およそ無害と言うか、人に危害を加える事がない。ただ人が良いだけに生活能力には欠ける所があったかもしれない。彼が王族に連なる身分でなければ、今ごろは着の身着のままの生活だったかもしれない。しかし彼ならそれでもやはり笑っているだろう。そう細かい事には頓着しない男だった。またちょっとした事でもすぐに嬉しくなる性格だった。おめでたいと言ったら良いだろうか。とにかく彼はお人よしだったのだ。

そんな彼だったから、甥子に当たるシッダルータが、悟りを開き仏陀として故郷に帰ってきたとき、その高貴さに大いに驚き、その聡明さを見て大いに喜び、その慈悲深い態度に大いに感激した物だ。釈迦族の多くが仏陀となったシッダルータの周囲を囲み、静かにその教えを聞いている時でも、彼だけはまるでお祭りのような雰囲気だった。それでも不思議と誰からも顰蹙を買わない。「マハーナーマンだからな。」それだけで皆が納得してしまう。そんなマハーナーマンだった。

隣にある大国のコーラサで王位の交代があり、ヴィドゥーダバ王子が王位についたが、それは釈迦族の滅亡をも意味していた。元々かのヴィドゥーダバ王子は父親の国王が釈迦族の娘を妃にもらい、生んだ子どもである。釈迦族には王族は釈迦族以外とは婚姻関係を結ばないと言う伝統があり、コーラサの王から要求にはかなり頭を悩ませた。軍事大国であるコーラサに逆らうのは危険だが、伝統を破るのも忍びない。結局、王女と偽って身分の低い妾をコーラサの王に差出し、そこに生まれたのがヴィドゥーダバ王子だった。王子は少年になる頃、母親の故郷を思い一度訪れた事がある。しかしながら経緯が経緯だっただけに、心より歓迎されるはずも無く、逆に母親の素性故に召使からさえも侮辱される始末であった。多感な頃の少年に、釈迦族への憎悪が芽生えた瞬間だった。

それからは散々だった。身分の事が明るみになると、コーラサの王は嫌悪を抱き、ヴィドゥーダバ王子とその母親を粗末な小屋に追い出して、生活は一挙に悪化した。しばらくしてコーラサを訪れた仏陀釈尊はコーラサの王に、王子の貴賎は父親に準拠する物であると言葉巧みに教えを説いた。そのおかげでしばらくするとヴィドゥーダバ王子とその母親は元の待遇を得る事が出来た。しかし憎悪は消えることは無かった。

ヴィドゥーダバ王は即位後、早速、軍を編成して釈迦族の国へ侵攻を開始した。軍事大国をもって近隣にひびくコーラサである。釈迦族の国は風前の灯火である。事態を察知した釈尊は先回りをし、その進路の傍らある枯れ木のふもとに座して瞑想を行っていた。先頭を進むヴィドゥーダは進路の先に釈尊を見つけると、すぐさま挨拶に近づいていった。さすがに釈迦族とは言え、名声の高い聖者である。またヴィドゥーダバ自身、恩義のある釈尊である。
「世尊よ、何ゆえ枯れ木のふもとに座しておられる。枝葉の茂った木は他にもあるというのに。」
釈尊はただ一言答えた。

「王よ、親族の蔭は涼しいのだ。」

ヴィドゥーダバは黙って礼をして、そのまま軍を引き返した。が、しばらくするとあの忌まわしい記憶と共に憎悪の念が蘇ってきた。そうして軍を再び、釈迦族の国に進めていった。そうしたやり取りが3度続いたが、4度目、ヴィドゥーダバが軍を進めた時には、釈尊はそこには居なかった。もはや水源に毒薬が投げられたかのごとく、命は朽ち果てる運命にあったのだろうか。因果応報の道理によって。
強大なるコーラサ軍の侵攻に対して、釈迦族も軍を集めて、すぐさま国境へと急いだが、鎧袖一触であった。凶悪なる憎悪を持った指揮官と最新の軍備をもって攻めてくるコーラサ軍に、それまであまりにも平和に過ごしてきた釈迦族達は枯葉が掃かれるように蹴散らかされていった。コーラサの軍は屠るよう村や町を次々とに陥落させ、いよいよ首都であるカビラヴァットゥに目前と迫った。カビラヴァットゥの城内には、もはや戦える軍勢もほとんど無く、ただ震えて死を待つしかない多くの庶民しか残っていなかった。逃げ道もコーラサの大軍にすべて塞がれていた。窮鼠ネコを噛むと言うが。相手が獰猛な虎ならば、ねずみがどうあがいても、一矢報いる事はまず無理であった。

マハーナーマンは好人物であった。小柄で小太りで丸顔でいつも笑っている。
小柄な彼は結局、王族として、城の留守を預かることになったのだ。結局、お人よしの彼に軍務など、到底無理と誰もが納得していたのだ。
「みんな、そんなに心配せんでいいさ。なーに、大丈夫さ、わしが話しをつけてきてやろう。」

街中の人が寄り集まった広場で、彼は相変わらずの笑顔でみんなに話し掛けた。彼に話し掛けられるとほとんどの人はなんだか愉快な気分になるのだが、今日だけは別だった。みんなうつむいたままだ。

「大丈夫さ、わしが話せば、何とかなるさ。うん、笑う角には福が来るっていうじゃないか。そうくよくよするもんじゃないよ。」

みんなうつむいたままだ。彼は一人話しを続ける。

「ははは、みんなしょんぼりして、どうしたんだ。そうだ、実はわしはな、皆がびっくりするぐらいいい案を思いついておるのじゃ。だからな、大丈夫じゃ。ははは。」

彼は好人物であったが、聡明だといううわさはついぞ立ったことは無い。人にだまされる事はあっても、人をだます事なんてまず出来ない。面白い話は出来るけど、人を説得しているところなんて見たことも無い。やはり、みんなうつむいたままだ。

「うん、よし、論より証拠だ。では早速、コーラサの王に話しをつけに行こう。とくと見よ、わが弁論の素晴らしさを。」

白々しい空気が城内の漂ったが、余韻に浸ることなく、彼は一人、城の門を空けて城外に出た。さすがに皆もびっくりして、すぐに様子を見に後に続き、城門の脇や城壁から身を隠すように事の成り行きを見守った。軽やかな足取りで場外に出て、マハーナーマンは警戒心のかけらを見せずにコーラサの王ヴィドゥーダバに近づいった。「なんだ、あのおやじは?」ヴィドゥーダバはつぶやいた。あまりにも無防備に近づいてくるマハーナーマンに誰もが、警戒心をさほど持たずに、じっとその様子を見ていたのだ。

「コーラサの王よ、ようこそ、カビラヴァットゥへ、私は釈迦族の大臣であるマハーナーマンと申す。ところでそのような物々しい軍勢を率いて、何をなされに来られたかな。」

ヴィドゥーダバもあきれたのだろう。

「わからんか!! おい兵士達にときの声を上げさせろ。」

大地を震わすような、兵士達の大音声に、城内の住民達は震え上がり、中には悲鳴をあげて泣き出す者も出る始末であった。

「これで分かったであろう。お前達を責め滅ぼしに来たのだ。準備は整った覚悟は良いか。」

マハーナーマンも心なしか足が震えている。それでも彼は笑顔を作って、彼は王の脅迫には、正面から答えずに大声を上げて、こう続けた。

「なんと、すごいときの声であった。これはこれは大層珍しい物を見せてもらった。コーラサの王よ。」

「ははは、わが軍勢のすごさが分かったか。分かったら早々に首でも洗って待っておれ」

「しかし、せっかくすごい物を見せてもらったのだから、わしもちょっとした特技を披露しようと思うが、少し時間をくれぬか。コーラサの王よ。わしは、実は国中でも一番の水練の達人なのじゃ。」

城内の釈迦族からは失笑も聞こえた。彼はどちらかと言えば運動神経は鈍い方だ。

「特に素潜りでは、魚にも負けぬぐらいの者として、国中でも評判じゃ、そこでじゃが、あの池は結構深い池でな、そこでわしの潜りを披露しようとおもうが、如何じゃな。」

「いったい、何を考えておるのか良く分からんが、貴様のような調子の上がらん、小男がそんな事を言っても全然説得力はないわな。むしろ笑いの種だろう。」

マハーナーマンにしては珍しくむきになって答えた。
「人は見かけに寄らぬものじゃぞ、コーラサの王よ、わが水練の妙技、こうなったら是非とも、披露せねば、気がすまん。」

「はははは、こっけいな。良いだろう。では、この城を滅ぼす余興に、貴様の無様なもぐりを見物して笑いものにしてくれるわ。」

「よし、では早速ご披露しよう。しかし王よ、わしは潜りに専念したい。だから、わしが潜っている間は決して、城の住民に手を出さんで欲しい、例え城から逃げ出そうとも、決して手を出さんで欲しい。わしが潜っている間だけでも良い。もぐり終わったら後は王よ、王の思うようになさるが良い。」

「ははは、そう言うことか、しかし浅知恵だな。良かろう。貴様があの池に潜っている間は、城から誰が逃げようとも手は出さん。」

たかが、小男の素潜り、たいした時間も掛かるまい。ヴィドゥーダバはそう多寡をくくってそれを約束した。

「さあ、コーラサの軍の諸君よ、城内の釈迦族のみなの衆よ、わが水練の神業をとくとごらんあれ!!」

そう大声で叫ぶと、マハーナーマンは池のほとりに行き、大きく息を吸うと勢い良く飛び込んだ。と同時に、着の身着のままで城内の釈迦族はわれ先にと城から飛び出して、逃げ出した。みんな必死だった。軍勢があけたわずかな道の隙間を形相を変えて必死に逃げる人々。池のほとりでその流れを見ながら、ヴィドゥーダバはマハーナーマンの浮き上がって来るのを待っていた。・・・・

10分、15分 と時間が経った。

「やけに長いな。あのおやじ」

ヴィドゥーダバは不審がって、つぶやいた。城内のかなりの数の住民が逃げ出していた。しばらくそのまま待っていたが、城内の住民が残り少なくなるのを見て、王は周りの兵士に「あのおやじがどうなっているか、引き揚げてこい!!」そう命令すると、すぐさま、数人の兵士が池に飛び込んで中を調べに行った。すぐに池のそこに横たわるマハーナーマンを見つけた。しかし引き揚げよるのにはさらにかなりの時間が掛かってしまった。

マハーナーマンはその束ねてある長い髪を、着物の長い帯を、池のそこに張り出した大木の根っこに雁字搦めに結び付けていたのだ。

容易に解ける事がないように、
決して浮かび上がる事の無いように、
引き揚げるのが困難なまでに。

ようやく引き揚げて、池のほとりにその遺体を横たえた時、城内の住民のほとんどは城外に逃げ出していた。マハーナーマンの体はただでさせ、小太りなのに、水を吸って文字通り水ぶくれに丸くなっていた。ぶよぶよに醜く膨れ上がった顔、その顔にかすかながらも満足げな笑顔を看取った時、ヴィドゥーダバは言いようの無い、脱力感を覚えた。しばらく無言のままじっと立っていたが、やがて軍に城へ入り、王宮を封鎖すると同時に、兵士に休息を命じた。当然、王宮以外の財貨については勝手取り放題である。兵士達は先を争って城内に入り、それぞれの家族への土産物を物色し始めた。だれも城外に逃げた住民の事はもう頭に無い。戦争は終わったのである。

戦果を得て凱旋するコーラサ軍。兵士達の顔は皆一様に満足していた。ただ一人、虚脱感に囚われたヴィドゥーダバを除けば。

「笑ったまま死んだ人間にいくら鞭を打っても、もはや苦しまんわな。・・勝つには勝ったんだ。もういい。」

ヴィドゥーダバは頭を振りながらそうつぶやくと、気を取り直して、姿勢を正し、王としての威厳を作ろうとした。

マハーナーマンは好人物であった。小柄で小太りで丸顔でさいごまで笑っていた。

その後、少し期間をおいて、釈尊はただ一人、廃墟となったカビラヴァットゥを訪れた。しばらく周辺を佇んで、やがてマハーナーマンが最後に潜った池のほとりに来た。池のほとりには、急ごしらえであったが、きれいな石を寄せて作った墓碑があった。ヴィドゥーダバが立ち去るに当たって、敵ながら天晴れと言う事で、マハーナーマンを埋葬した後に立てたものだ。誰とは無しに花も少し添えてあった。その石碑に近づくと釈尊はつぶやいた。

「王よ、親族の蔭は涼しいのだ。」

そう言って、石碑に手を添えた瞬間、ひびが入ったかと思うと、たちまち砂のように崩れ去り、風に吹かれて跡形もなく消えてしまった。釈尊はその後に小さな穴を掘り何かを埋めると、振り返る事もなく、そのまま立ち去っていった。名実共に彼は故郷を失ったのだ。それ以降、釈尊は故郷の土を二度と踏む事は無かった。

時は流れて、かつてカビラヴァットゥの都のあったふもとの池には、大きな菩提樹の木が聳え立ち、そこを通る旅人の多くはその木陰で涼んで旅の疲れを癒しながら、その神々しいまでの枝ぶりに感嘆するのだった。しかし誰もその由来を知らない。釈尊も語らなかった。当然、誰も知る由も無い。

かの釈尊が自らの故郷や親族が滅ぼされてしまった事に象徴されるのか、釈尊の教えはその発祥地インドからやがて衰退して行く運命にあった。偶然なのだろうか。しかし、マハーナーマンの献身によって、助かった釈迦族は歴史から姿を消しても生き延びていったように、彼の釈尊の教えと法は、発祥の地で衰退の憂き目に遭いながらも、国を超えて、各地に散らばるように伝わっていった。
時は流れ、遥か後世、遠くベトナムの地。おそらく、釈尊の時代には誰もが想像だしえなかったであろう、空を飛んだり、地響きをたてながら、火を噴き、毒をばら撒く鋼鉄の悪魔が我が物顔にその大地を蹂躙していた時期があった。まさに悪夢のようなあの戦争に、釈尊の教えを奉じる六人の和尚は、その身を炎に包み、誰を害する事もなく抵抗の意を示した。その勇気故に世界を震撼させたのだ。
人は自分の人生の開始を選ぶ事は出来ない。そして、死を迎えるにも自分の意図通りに寿命を迎える人は少ない。もし火に焼かれ、水におぼれて死ぬ人があれば、それを人は非業の死と名づけるだろう。しかし自らの死によって、何か大切なものを未来に残す事を選んだ人が火に焼かれ、水に溺れてもそれを非業の死とは呼びたくない。
先月の末に、ベトナム戦争終結の30年記念の式典がベトナム政府主催で開催された。その際に始めての事であるが、ベトナムの政権からアメリカを非難する声明はついぞ一つも聞かれなかった。30年という時間ゆえなのか、それとも今後の経済面での提携のためと計算し尽くした部分もあるだろうか。ただその背後にある種の理想の追求があったと考えてみたい。今もなお、隆山寺のティック・クァン・ドック和尚のリリーフには、献香の絶える日が無いが、彼の和尚が自らを焼いて、残そうとした物はそうした理想だったような気がするのだ。

「与える者には、功徳が増す。
身心を制するものには、怨みのつもることがない。
善き人は悪事を捨てる。
その人は欲情と怒りと妄執とを滅して、束縛から解きほごされた。」
仏陀の言葉、ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫).17 より。

今日のBGM、Rage Against the Machine

Rage Against the Machine

*1:残り一名の和尚の名は不明である。誰か知っている人が居れば教えて欲しい。

*2:この節に関しては、Rage Against the Machine の日本語版ライナーノーツを参考にしました。

*3:普通なら熱さに耐え切れず転げまわってのたうつのが関の山だろう。

*4:ベトナム人だけは無く、アメリカ人をも含むと思う。

*5:実利指向で経済発展の為なのだと新聞には書いてあったが