梅雨行

雨の日に買い物に行く時は自転車に乗らずに、歩いて買い物に行く。また傘をさしているせいもあって視線はどちらかと言えば下の方に向きがちである。
今日はただでさえ、買い物へ行くのに、いつもより時間が掛かるのに、わざと遠回りしてみた。昔、こどもの頃に住んでいた団地の周辺を通っていったのである。子供の頃に何度も通った道が今では思ったよりすぐに通り過ぎてしまう。距離感が大人になって随分縮んだと言う事は、それだけ大きくなったと言う事なんだろう。昔遊んだ、小さな雑木林の木々もやはり幹が太くなって一回り大きくなっていた。30年近い歳月の長さを少し思う。

買い物に行く途中に見つけた、アサガオに良く似たつる草の花。青が深い色をしている。完全に青い花というのはこの世にはほとんど存在しないらしい。確かに青に近い紫でも、何がしか目を引くものがある。

梅雨の季節、目を落としてゆっくり歩いていると、様々な草木や花が目に入る。普段は見過ごしがちであるが、この世の中には実にたくさんに種類の花があるんだと、実感する。そして、普段は目にも留めない、道端の小さな花にも多分に誰かがつけた名前がある。誰がその名づけ親かは定かでないが、多分にその小さな花に目をかけて、観察して、名前を付けたのだろう。名前を付けると言う事は、その対象に関心を寄せて、感じる物があるからであろう。そうした生活があった昔の時間の流れ方や物の見方は、多分に今とはちがったゆったりとしていたのだろうか。ふとそんな事が思いつく。

スーパーに行く途中の団地では、老朽化した団地を取り壊して、マンションの造成工事が盛んに行われている。時々、囲われて平たく砂利のしかれた敷地の一角に、保存樹木との札を掲げられて、そこだけ生き残った樹木を見る。育つのに10年、100年単位の時間が掛かるものである。そうした部分にはもっと手間をかけてもいいと思う。ケヤキが生い茂る並木道は、木陰のおかげで、そこだけが夏でも涼を感じる空間になっている。

花だけでなく、葉っぱや樹木の形にも、何がしか目を引くものを感じる。雨にぬれて水を吸って、全ての植物が育ち葉を伸ばし、花を咲かせようとしている。並木道をとおりながら、数多くの生物に囲まれて生きているんだと、実感する。もうすぐ本格的な夏がやってくる。

つる草が、自転車掴む、夏の朝。
考葦子