答えの無い問い。

占星術をやっている事について、時々、人からこう言われる

「占いできるんやったら、女の子にもてるで。占い好きな子多いしね。」

少し前に、トップランナーにザンボマスターがゲストで出演していた事があった。*1 Jam のコーナーで「バンドをやっていると、女の人にもてるんですか?」と質問が出たとき、ボーカルの山口隆は「よくぞ、聞いてくれました!!」と切り出し、「ライブの打ち上げでファンの女の子も交えて、盛大に打ち上げって良く聞くけど、そんなの全然ねーよ。そのシステムってどうなってんだよ」と結んでいた。

個人的には、「占いが出来る」→「女の子にもてる」 は単純な因果関係ではなく、なにか途中に膨大な暗黙知があるような気がする。そのままでは「まるで意味がわからない」のである。そういう意味で上記のザンボマスターの発言にはいたく共感してしまった。

母親の病気や仕事が多忙になったりと、最近では人の依頼で占う事もめっきり減ったと思う。それでも若干であるが、時々電話で依頼がある。しかし類は縁を以って集まると言うのだろうか。お金を取らずにやっているせいもあるのだろうけど、残った相談事は自分の身の上に良く似たような相談を受ける事が多い。先日は「私の命はこれからどうなるの? 私は死なずに済むの?」そんな問いで始まる相談の電話であった。
やはり、少し心を病んだ人からの相談である。何度か電話があったが、朝の5時半頃に掛かってきた事もあった。外は朝日が指し、まだ少し涼しい時分である。テレビでは多分、ラジオ体操をやっている頃か。これから一日が始まり、人々が眠りから覚め、活動を始めるその時間帯に、「人生はどうなるのか、もう駄目じゃないだろうか、後は死ぬしかないのだろうか。」そんな終末に向かうような問い掛けを、眠気とけだるさをこらえながら、じっと聞いていた。多分に夜もあまり眠れなかったのだろう。自分の母親の病気でそのつらさは目の当たりにしてきただけに、むげにあしらう事も気が引けるので、話だけはよく聞くことにした。

安易な受け答えでは、「その根拠は一体何処にあるの?」と尋ねてくる。当たり前な話で、私が占星術を使うからである。不安なのだから不安なのであって、その理由が明確になっているなら別に占星術を使うまでも無い。しかし結局は、私が占星術を使えるだけでなく、そうした病気について体験的に理解しているから、と同時に答えの無い問いに対して理解を試みようとするから、相談の電話を掛けて来たのだろう。そうして類は縁を以って集まってくるのである。

こうした答え無い問いに対峙するときは、一見ただ話しを聞くだけでもかなりの集中力とエネルギーを必要とする。自分を見失わなずに相対する為である。ただ、集中するだけでは足りない物がある。それは問題の文脈をつかみ、全容を把握するために、視野を広く保ち、注意深くなる事である。そうでないと集中すればするほど、相手の世界に飲み込まれてしまうか、てんで相談が成立しなくなるからである。

そう言えば、数年前だが、こんな事もあった。

とあるイベントの客寄せで臨時の占い師をやっていた時の事である。15歳、中学三年生の女の子が二人、運勢を見て欲しいと相談に来た。片方の子は少し浮遊感のある子で、その子から運勢鑑定を行う事になった。すこし目をうるうるさせて、無邪気な声でこんな質問したと思う。

「あのね、おねがい!! 私に白馬に乗った王子様がいつ現れるか教えてください。」

「白馬の王子様ね・・・、うーん難しいね。王子様じゃなきゃだめなの?」

「うん!!、ねー教えてくださいよ。 (*・人・*) オ・ネ・ガ・イ♪」

「えーとね。・・・・・中学生?、へー3年生か、学校は楽しい?・・・」
・・・
「今日は友達と買い物に来たの?」

「うん。ねー、ねー、私は**ちゃん(となりに居る連れの女の子の腕を掴んで甘えるように)とは仲がいい?」

「ふーん、そうね。いいコンビだよ。あなたがボケで、彼女が突っ込みで、良く出来ているよ。」
・・・・

結局、適当に話をボケてずらしながら、脳天気な会話を脈絡もなく続けていたような気がする。傍から見ていると漫才だったようである。「白馬の王子様」と今時にしては古風な憧れを振りかざしながら、彼女はマイペースを保ちながら、時々「それで白馬の王子様はいつ現れるんですか?」とあどけなく聞いてくる。少し気になるので、こちらから質問をしてみた。

「ところで、お父さんは何をしているの?」

「いないの。」

「いないの?、ふうーん」

「出て行っちゃった。」

「お母さんは。」

「台所によくいるの。お酒飲んでいるの。」

「兄弟はいるの?」

「弟がいるの?、いつも部屋でアンパンマンをみているの?」

「歳は?」

「10歳!!」

「へー、10歳か少し珍しいね、アンパンマンって」

「知恵遅れなの・・・」

少し、気落ちした風になりそうになって来たので、話題を変えようとすると「ねーねー、ところで白馬の王子様はいつ現れるんですか。」とか「**ちゃんと私はずっと仲良しですか。」と最初のように明るく脳天気に聞いてくる。こちらもまたそれに合わせて脈略の無い会話を続けていった。

往々にして、占いを行う人はは将来予測と解決手段を重視するあまり、問題の見方が浅くなる傾向にあると思う。しかし浅い物の見方、現状把握を元に導き出す、将来予測や解決手段は、そこが浅いだけでなく、間違った因果律、迷信に走る可能性も高い。そうした観点での占い師にとって、「白馬の王子様」の彼女の質問はまるで取るに足らない質問に映る可能性が高い。今時の15歳なら多分、もう少し大人びて、具体的に現実を見た質問になるのであろう。*2彼女の「白馬の王子様」のような質問には多分、そのままでは答えはないと思う。だからと言って「白馬の王子様なんてそんな御伽噺な」とか「これからの女性はもっと自立しないと」とかそんな価値観で物を見ても始まらない。そういう意味では実はこの手の相談はかなり難しい相談なのである。

本当は占段を立てて、盤を解読する際には問題の明確化と文脈の把握にこそ注力すべきなのである。*3そうしてこそ、始めて未来予測は地に足がついた物となると思う。そしてそこから導き出される解決方法は実に多様であり、決して単純な答えなど存在しない事を実感すると思う。そして、時として残酷な事に当面は本当に答えが無いと言う現実しか見つからない事もある。

残念ながら、その「白馬の王子様はいつ現れる?」と訪ねてきた彼女の場合が占段の内容も本当に八方塞がりだったような気がする。現実が救いがたく苦しいからこそ、防衛的に現実から目を背けざろう得ないのであろう。時々、テーブルの上に置いてあるラムネやキャンディをくすねるように自分のかばんにそっと入れている事があった。全く気付かない振りをしながら観察していたが、やはり貧困の苦しみと言うのは、今の日本では特に理解されがたい所があるだろう。そして、その人から尊厳と希望を奪うと言う意味で本当に苦しいと思う。だから私はその時は彼女の世界に付き合うことにしたのである。

「ぼちぼち、今日はお終いにしましょうか。」

「ねーねー、白馬の王子様は結局どうなったの。」

「白馬の王子様ね。・・・・難しいね。ははは。・・・ところでラムネとかキャンディは好き」

「うん、好き。」

「そこのテーブルにあるやつ、大抵は余ってしまうぐらいたくさん有るから、全部お土産に持って帰って良いよ。」

「わーい、ありがとう!!」

「きっと、これから先、いいこともあるよ。そこにいい友達もいるやん。」

「うん、ありがとうございました。」

その程度のことと、後は祈るような気持ちで相手の幸せを願うぐらいしか出来なかったが、それでも少しでも前に進めばいいかと考えた。それが現実なんだろうと思う。結局、一期一会だった。今ごろは20歳ぐらいになるだろうか。どうしているんだろうか。

仕事でシステム・エンジニアをやっている。

「白馬の王子様はいつ現れるの?」

そんな答えの無い問いに似たようなフレーズを聞くことがたまにある

  • 「バグの無い完璧なソフトウェアの実現*4」、
  • 「汎用性が高く、生産性、品質を劇的に改善する開発環境・ツールの導入*5

占星術と同様に、方法論や解決策(見積もりや設計と言う名の予測とか、洗練された実装方法とか。)ばかりを重視して問題の本質を見誤ると、こうした答えの無い問いの周りをしばらく彷徨わないといけなくなる。事の本質はどこかで繋がっているようだ。仕事が行き詰まっているせいか、その原因に思索をめぐらせると、そう感じることも多い。

*1:2005年 4月17日放送分

*2:占星術でも見方が浅い場合は、問題がある程度具体的にならないとせんだんとして成立しない事もある。

*3:それだけに時間の掛かる事も多い。

*4:問題領域を完全に把握して、仕様を100%完全に書き切ったら、まだ可能性はあるのだけど

*5:そうしたツールを使うために要求される実はスキルは相当高いもので、結局難しすぎて誰も使えないことになる。