UND*1

誰もが、空気の存在を意識して普段生活してはいないだろう。人は当たり前のことをつい意識しなくなる。常識とはそのような物であり、多分にそれはその人の思考の境界を定める物だと思う。ちょっとしたことがきっかけだったが、ふとそう思う事があった。

かをり嬢の blog 本が発売されたので、買ってみて読んでみた。さすがに本人が気合を入れて編集に携わった事だけはある。一つ一つの記事に全部、追記が書いてあり、カラーの写真もふんだんに載っており、かなり楽しく読める内容になっていた。

・・・・・
じゃあこの本を閉じたらとりあえずブログ「眞鍋かをりのココだけの話」を、
訪れてみましょうか(笑)。続きはココログで〜☆
眞鍋かをりのココだけの話 (ココログブックス) の P332より引用。

そうやって、最後のページを読み終わった後、軽く何がしか違和感を感じた。そう思いもう一度最初から目をじっくり通してみた。・・・・・・・・・・・・
結局、「眞鍋かをりのココだけの話」の URL (http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/) はどこにも載っていなかった。
うーん、

  • やはりこの本を買う大半の人は多分に彼女の blog を通じてだろうし、
  • 読者の大多数は blog のファンだろうし、
  • 多分にインターネットも World Wide Web も blog ももはや世間の常識だろうし、
  • 本には cocolog の URL*1 は載っていたし、
  • google 使えば すぐに出て来るんだろうけどな。・・・・

やはり、常識とはそのような物なのであろうが、彼女の『国民の友達になりたい』という心意気を買うならば、

  • やはり、インターネットって何と言う人はまだまだ多いし。
  • テレビや雑誌や新聞でしか、かをり嬢を知らない人も多いと思うし。
  • たまたま、書店で見つけて、おもしろく感じて、初めて blog の存在を意識する人もいるだろうし。
  • cocolog のトップから探すと言うのもなんか回りくどいし。

うーん、書籍自身の内容が充実しているだけに、何か惜しい気もする。blog やホームページと違って書籍と言うメディアでは、リンクを張ってナビゲーションを自由に設定できない。それ故に内容とは別にそうした参照・リファレンスの設定はそれなりにいろいろと考えることも多いような気もする。あと、読み手の立場から考えるなら、メディアリテラシーと言うのは、一度習得してしまえば、ほとんど空気のようなものになり、習得する前のことなんてすっかり忘れてしまうものだ。しかし、習得していない人にとっては職人技か魔法使いのように見えるものである。

多分にお節介なような気もする。なんか書いていて自分もおじさんになったような気もする。ただなぜこんな事を考えるのだろうか。昔、インターネットが爆発的に普及してきた頃。会社の開発提案でインターネットを活用したシステム開発の提案書を何回か稟議にあげた事があるが、用語や概念の説明に随分苦労した経験が有るせいだろうか。例えば、一版向けのポータルサイトの開発提案で、予算の外注費の項目に Web デザイナーの人件費を入れたら、「画面のプログラムをデザイナーに任せるって、出来るはず無いだろう」と上司から言われて、会議が紛糾したことがある。*2

まあ、国民にはいろんな常識を持った人がいると言う事であり、それは往々にして食い違う事も多い。いままで随分その食い違いに面食らってきたと思う。かをり嬢の本を読んで、なぜかそんな事を思い出した。

冬瓜は、名前に違い、夏野菜。
考葦子。

眞鍋かをりのココだけの話 (ココログブックス)

眞鍋かをりのココだけの話 (ココログブックス)

*1:http://www.cocolog-nifty.com/

*2:つい3,4年前の話であるが。・・・