無風地帯。

今日は選挙。TV や新聞や blog や Web のネット上等ではかなり盛り上がっているようだが、それらを閉じて、周囲に耳を澄ましても、今回は殆ど選挙の音がしない。最寄の駅前での活動も殆ど無かった。私の町では看板に張ってある3名のポスターが唯一、今が選挙中であることを示している。多分に、比例候補との重複で、どちらも落ちる可能性が少ないせいだろうか。なんか釈然としない。結局、個別の候補ではなく政党を選ぶ選挙になりそうだ。

とりあえず一票は入れようと思う。静かなおかげで、かえってどこに投票すべきかゆっくり考えることが出来たと思う。

様々な blog を見ると、今回の選挙に関して、劇場型選挙に踊らされるマスメディアと称し、TV や新聞などを随分批判している記事が随分あったように感じた。ただ、思うにそうした記事をみているとなんかある種のステレオタイプにはまっているように思えるのだが、気のせいだろうか。朝、みのもんたが司会をやっている TV 番組などを見ていても、それなりに視聴者に対して公平な観点で情報を提供しようとしていたし*1、新聞でも各党のマニフェストを比較して検討している記事もちゃんと有ったと思う。

人は*2どうしても何か意見を表明する際に、何がしかの型、様式を借りて行おうとすると思う。まず結論があって、その上で類似する表現を集めて*3、意見を発する。blog などの参照やコピーが自由なメディアにおいては特にそうした事が起因して、過剰な意見の増幅があるような気がするのだが、どうなんだろうか。情報に過剰に反応して、言葉やキャッチフレーズがキーボードを叩かせる。そんな感じだろうか。結局、自分が一票を行使するという観点で意見を述べる前に、どの程度考えたのだろうか。と言う事をふと疑問に思う事が多い。

自戒を込めて言うなら、自分の考えなりを自分の観点、表現の仕方で文章に表すと言うのは、非常に難しいと思う。自分の独自性というのをどこで保つか、そして、コミュニケーションによる意見の深化をどのように確保するのか。そのバランスだと思う。特定の立場に立つ事が、表現の自由を奪うような錯覚に陥る事も有ると思う。多分に批判だけを自由に行える立場から、守らないといけない物が出てくるからだろう。そういう意味で最近、自分が blog の記事を書く際にやけに慎重になってしまう。ちょっとしたスランプであろうか。

メタな論議に陥いりそうなので、この辺で止めておくが、今回の総選挙、人の意見を受け入れて、考えることの重要性をいろいろな観点で考えさせられたと思う。例えば郵政民営化に関して、「外資がハゲタカのように、国民の金融資産を狙っている」と論法を何度か聞いたが、ハゲタカなら別に外資だけでなく、国内の金融資本にも居るような気がするのだが、果たしてその辺はどうなの?と思う。

最近、外資系の投資ファンドが、とある国内メーカーの再建に際して、社員の士気の高さを重視して、人員削減をせずに、会社の再生、ジャスダックへの再上場を汗をかきながら、支えたという新聞記事を読んだが、国内の大手銀行が投資先に、経営支援と証して、リストラ(人員削減)をやらないのは経営努力に欠けると、紋切り型、問答無用に圧力を掛けている事と比べると、どちらがよりハゲタカか。つい考えたくなる。

年金の問題でも、結局公的にどう支えるかという制度の問題ばかりに目が行くが、個々の年金基金の管理団体が預かったお金でどのような資産運用を進めて行くのか、その運用実態の情報公開の基盤整備と、資産運用の実力向上といった施策案はあまり無いような気がする。私も自分が不勉強なだけかも知れないが、自分自身の年金の積立金がどのように運用されているのか、考えてみれば知る術を知らない。この分野、そうした機関投資家の情報交換の為の世界的な会合が有っても、日本からの参加者は殆ど無く、有っても発言も意見・事例発表も殆ど行わないらしい。

結局、全体的にどう管理しようかという発想よりも、個々の現場でどのように、状況を捉えて、考え抜いて、行動していくか。そうした事が大切だと思うし、それをどう支えていくか。そんな事を今回の選挙での一票に託してみたいと思う。


*1:当然、過剰な演出は入っていたし、落ち着きの無いところには閉口したが。

*2:特に批判を行う上でそういう傾向が強い

*3:過去の自らの言論を含む