信念と独善の境界線。

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だから、「誰にとって正しいこと」というのは、「みんなが正しいと思っていること」ではないということも、もうわかるだろう。「みんな」、世の中大多数の人は、当たり前のことを当たり前だと思って、わからないことをわからないとおもわないで、「考える」ということをしていないから、正しくないことを正しいと思っていることがある。でも、いくら大勢で思ったって、正しくないことが正しいことになるわけではないね。だから、たとえそう考えるのが、世界中で君ひとりだけだとしても、君は誰にとっても正しいことを、自分ひとりで考えてゆけばいいんだ。なぜって、それが君が本当に生きるということだからだ。

14歳からの哲学 考えるための教科書 第三章「考える[3]」P23 頁より引用

TV や雑誌や新聞で政治の事が語られるときは、状況を分かりやすくするために、様々なレトリックや演出をもって行われる。普段なら、特段気にならない。しかし先の総選挙で自民党が大勝したが、それを「勧善懲悪の小泉劇場に国民が夢中になった。」として、自民党の演出の勝利であるかの如く、説明されている物が多いと思う。マスメディアだけではなく、blog などのメディアでもそうだ。今回の選挙では、自分なりに新聞などを読んで、よく考えた上で自民党に入れたので、なんか釈然としない。そう自分の考えた事がなんか軽く評価されている気がするのだ。大げさに言えば『騙されているのだ』と言われているような感じであろうか。気持ちがいいはずも無い。私は演劇のエキストラになるために選挙に行ったのではない。
物事を考える上で、情報のソースはある程度絞った方が良いように思う。絞り方は人それぞれであろうが、今回の総選挙に関しては、blog などのメディアについては、ノイズが多すぎてほとんど参考にならなかった。感情が入りすぎて、読みづらい記事が多かったのである。TV は論外である。同期型のメディアではじっくりと考えることが出来ない。状況なり情勢を素早く把握するのにはよいが、選挙の判断基準には出来そうに無い。結局、夜遅く、新聞を広げながらひとりで考えていた。

個人的に、ボランティアな組織で指揮系統を担った事がある。その折に権力を使うとは何かということを考えたことがある。多分に組織を指揮していく上で、2つの方法があると思う。

  1. トップダウン型で、目標を明確にして、スピードを重視して進めていく。
  2. 調整型で、参加者の合意を以って進めて行く。

どちらが優れているかは、指揮をとる人の人柄や、周りの状況によると思う。それぞれリスクもある。トップダウン型では、指揮官が独善に陥れば、組織は崩壊するしかない。調整型のリーダーは度量が重要であり、清濁併せ呑む必要があるが、時として毒を飲み込んで、組織が麻痺してしまう事もある。
私自身は多分、トップダウン型だと思う。必要に応じてヒアリングも行うが、多分にヒアリングの意図を明確にしてから望む。また反対意見もちゃんと聞くが、それでも自分の意見を通すことが多い。ただ、なぜそうしたのかはちゃんと説明するよう心がける。しかし反対する人は、やはり反対したままで組織から出て行ってしまう。周りはにぎやかではない。指揮官の孤独を味わいながら、誰に相談する事もなく、ひとりでパソコンに向かって資料を作成しながら、考え込んでいることのほうが多かった。

ただトップダウン型でも、こちらの意図を口頭と文面を使って説明すれば、組織に参加する人は、「何をすれば良いのか分かりやすい」と理解を示し、従ってくれることも多い。多分にどちらの型であれ、権力を使う人に必要なのは、計画性、説明責任と実施能力であると思う。*1

今回、選挙で自民党が大勝したのも、制度的に観れば小選挙区制によるところが大きいと思う。政党別の得票率と議席数の差を見ればわかる。ただ、もう少し違った物の見方をすれば、「じっくり考えた人」が勝った。そう思うのだ。
新聞に小泉首相は『今までの永田町の常識が全く、通用しない男』だと書いていた。『だから予測が極めて難しい』と結んでいた。それは彼が何か重要な懸案があり、決断の必要が有っても、全く誰にもリークしないからと言うのも大きいそうだ。情報が無いから予測が出来ない。彼は徒党を組まない、義理人情が通用しない、重要なことは必ず全部自分で決める。あまり永田町の世界には居ないタイプだ。要はパターンやステレオタイプで考えている間は、予測が不能となるのだ。

彼は新聞記者にこんな趣旨の事を語った記事を新聞で読んだことがある。『今までのトップが駄目なのは、重要な決断をする上で誰かに相談してしまう。これが良くない。迷ってしまう。おれは参考意見は聞くけど、最後は自分ひとりで考えて決める。だから改革ができるんだ。』 よく分かる。だからぶれない、少々の欠点を指摘されても動揺しない。私自身の姿勢に通じる物があるからだろうか。共感が持てる。

大げさな話、政治とは、公約やマニフェストの作文ではないし、マニフェストというマニュアル通りに事を行う物でもない。当然、説明責任や批判は覚悟しないといけないが、現実を状況に応じてどうするか。そこが一番大切なことだと思う。その意味で、公約やマニフェストについても、方向性を決める政策理念の部分と、具体的な施策の部分は分けて考えた方がよいと思う。

小泉氏の政策理念は財政とか経済に偏っている嫌いがある*2が、少なくとも私は彼が旧来の自民党政権のように半ば、権力とそこから来る利権が目的になっている感じではなく、「郵政民営化」に象徴される財政と政府のあり方についてまじめに深く考えている姿勢は大切だと思う。*3

もしかすると、彼が郵政民営化について取組んだのは、それが当時の政界では、非常識であり、不可能であったからというドンキホーテ的な感情からかもしれない。*4それでも、自分が一番大切にしている事については、リスクを取り、思い切った手を打ってでも実現しようとするその姿勢は権力者としては大事じゃないかと思う。少なくとも選挙時の公約をただに宣伝文句にしてきた嫌いのある、旧来の政権から観れば、かなり新鮮だったと思う。

解散から 3,4日後に新聞広告に自民党から衆議院選挙の候補者募集の広告が載ったとき、今回の選挙にかける彼の意気込みと用意周到が相当な物であることを感じた。ただ今回、国会での交渉や駆け引きではなく、民意を問うためにリスクと取って、解散・総選挙に出たことは評価したい。要は文字通り、真剣に国民に問いたい事があるからこそ、彼は解散したと思うし、私達自身に、選択の余地を与えてくれたからである。*5 結果的に彼の考えたとおりになったとしても、それを「演技に乗せられた」と表現はされたくない。彼が今回の選挙で勝ったのは、多分に「最後まで自分で考えたから」であろう。私もメタレベルだが、彼が十分に考えていると姿勢を示したからこそ、票を投じたのである。状況を読んで局所的に最適解を求めるだけの姿勢ならば、たとえ、訴えている事が「郵政民営化」の二者択一であっても、多くの国民は見抜いていたはずである。

特にメディアが発達して、情報化が進展するにつれ、情報を重視する姿勢をとる人が増えたと思うし、情報に長けた人が賢い人のように思われる。ただ情報化が進むにつれて、個々の情報の価値は相対的に下がっているのもまた事実である。そうした中で最後に物を言うのは、自分の独自の部分で何を考えているかである。私は小泉首相の「郵政民営化」については、彼の独自の部分だと今回は判断したのだ。

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そんな定規が本当にあるんでしょうかって、怪訝な顔をしているね。

あるんだ。どこに? 君が、考えれば、必ずそれは見つかるんだ。正しい定規はどこだろうってあれこれ探して回っているうちは、それは見つからない。考えることこそが、全世界を計る正しい定規になるのだと分かった時に、君は自由に考え始めることになるんだ。こんな自由って、他にあるだろうか。

14歳からの哲学 考えるための教科書 第ニ章「考える[2]」P17 頁より引用

民主党の新しい党首に、前原氏が選出された。どのような人物かはあまり知らない。ただ、結果としては、党首の質やイメージが選挙では重要だと言う事で若返りを測った事になったらしい。*6 では党首の質とは何だろうか。『孤独を乗り越えて、どこまでも自分で考え抜く』という力に対して、民主党の方々は何を以って対抗しようとしているのであろうか。今まで誰も考えたことの無い事を生む、独創性が必要だと思う。


14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

*1:個人的には、実施能力の面で、課題山積みだったような気がする。

*2:多分に政治家として若年の彼に影響を与えたブレーンが加藤 寛氏(千葉商科大学 学長)であったこと大きいと思う。

*3:立場上、他の政策課題についても考えないといけないのは当然であるが、その優先度については、彼の専権事項であると思う。

*4:実際に彼の演説の際の感情的な昂ぶりをみるとそう思えてしまう。

*5:もう一つ、今回、結果的に投票率が随分と向上したのは、よいことだと思う。民主主義において、低投票率はある種の病であると言っても良い。

*6:ちなみに世間では、岡田前党首に全責任があるか如きの論評であるが、彼の真っ黒に日焼けした顔を見れば、今回の得票数のうち、かなりの数を彼は汗をかきながら、まじめさを訴えて、稼いできたように思える。極論すれば、民主党は危機感は持てど、自ら汗をかく事を怠った候補者が多かったのではないか。岡田前党首については、少なくとも、自らは選挙に出ずに、結局、一議席しか取れなかった、某新党の党首よりはずっと印象はよい。