花葬

先日、知人の葬儀があった。炎天下のちょうど真昼だったが、近所にある公立の墓地公園の管理棟に出向き、告別式に参列した。故人は還暦を迎えたばかりの女性で、以前、色々と世話になったことがある人だった。いわいる女性特有の癌を10年前ほどから患っていたのだが、その当時、ちょうど不況の真っ只中で、職場でリストラがあったらしく、入院による長期休暇がそのまま退職に繋がりかねない事態に、満足に病院で対処できなかったらしい。旦那さんとは早くから死に別れ、女で一つで二人の息子さんを育ててきた故人である。この10年間の闘病生活も含め、これまでの人生には相当な忍耐があったようだ。

土曜の真昼だったこともあり、送棺まで参加した。故人は次男さんと二人ぐらしであった。そんなこともあって、息子さん方はなくなった際にも、悲しむまもなく、葬儀をどうすればよいのか、かなり混乱したみたいで、故人の友人がかなりアドバイスしつつ、結局、影で葬儀を実際に切り盛りしたらしい。

告別の法要、焼香が終わり、送棺の時間がやってきた。葬儀社のスタッフが献花の花をかごに入れ、

「故人へのお見送りに花をお供えください。」

と呼びかけた。飾ってあった献花を十分にあったが、かごに用意された花はごく一部であっというまに無くなってしまった。

「なにやってのよ!!」

そんな感じ、例の葬儀を影で切り盛りしていた故人の友人は、突然、たくさん用意してあった、献花の花をどんどん切り取っていった。

「あのね、私、とにかく今日の葬儀は香典はいいから、献花にしてってみんな呼びかけたのよ。あの娘はね、花が大好きだったのよ。だから最後はね、花いっぱいに囲んで送りたいわけよ。わかる、もう!!」

そんな趣旨を聞いて、私も二度ほど、蘭と百合の花を摘んで、棺おけに横たわる故人の胸に添えた。焼香まではほとんどに人が静かにして黙祷していたが、花を添えながら多くの人が涙を流していた。死化粧を施した故人を眺めながら、多分に若かりし頃は佳人の類であっただろう顔立ちに、やはり花が似合うだろうなと思った。花を供える事は、仏教においては忍耐を意味するが、末期の癌から来る疲労と苦痛を耐え乗り越え、最後は穏やかな表情で横たわる故人を見て、その冥福を祈りつつ、最後の別れの時が過ぎ去っていった。

「多分、自分の死期をある程度悟ってはったんやろうね。」

故人とは仏教の信仰が縁で知り合ったのだが、亡くなる数日前に、お参りに出かけたり、友人達に会いに出ていたという、その様子を聞いて、そんな感想を知人の参列者と語りあっていた。

考えてみれば、その日以前に人の死顔を見た記憶が無い。魂が抜けやがて朽ち果てていく体と対峙したのは、多分その日が最初だったと思う。「汝、常に死を思え」とは、確かフランスの哲学者の言だったと思うが、日常生活からそうした「人の死の風景」からずっと遠ざかっていたと思う。もうすぐお盆であるが、それも、死者の魂をかすかに感じ、わずかに生前を思い出すための儀式であり、死の現場では無い。

家に帰り、母親へその話をしたが、母親は癌の種類や、病に至る経緯など、なぜ病気になったかということ、非常に気にして根掘り葉掘り聞いていた。母親は故人よりもずっと年上である。身近な事として、興味があるのはよく分かる。

あーすれば、良かった。」「もっと早く対処していれば良かった」

確かに、色々と思うことはあるだろう。去年の今頃、文字通り、自滅するような精神状況から、何とか立ち直った母親だが、その反動か、健康に対しては、非常に執心していると思う。サプリメントに対する研究も多分、人並み以上だろうし、健康番組を欠かさずチェックしている。家で食事をしながら、講義までしてくれる。それが我が家の日常である。

ただ、その日はやがて訪れる。確率的には母親の死顔を私が見取る確立の方が高い。私もそうだが、母親も案外と人付き合いが悪く出不精である。例の精神の病気では、結局、私と兄以外の人とは初期の頃のたった一人を除き、人を怖がりほとんど接触しなかった。花に囲まれてこの世を去った故人には、好みを察して、最後に花を集めくれた友人や骨を折って。看病に精をだしてくれる友人がいた。そうした気持ちのつながりについて、本当は家でも一度ゆっくり話をして見たい。健康には役に立たないかもしれないが、その日を冷静に受け止める上で、かなり重要な要素だと思うのだ。

孤独を感じることが多い故だろうか。私には、それが人生の中で非常に大切な役割を占めているように意識してしまう。


影法師、生きる証か、その黒さ。

考葦子