線引き。

先週の日経の夕刊に「そこまでやるか」という短期連載があった。中学生の時にカギを職員室に取りにいくのが面倒で、その場で合鍵を作って教室に入ったと言うトヨタの研磨工。一足づつ客ごとにその靴を見て、塗る靴クリームをその場で配合する靴磨き。などなど、とことんその技に拘った人たちの話である。その一番最初に出てきたのは、コールセンターの設営での複雑な配線作業を一手に引き受ける親方の話であった。

昼間は映画「釣りバカ日誌」で西田敏行演じる建設会社の駄目社員、ハマちゃんのよう。まるで風さいが上がらない。施設の工事は業務に支障が無いよう拠るが中心となる。おかげですっかり夜行性となったハマちゃんは日中、イスに座ってぼーとするばかり。しかしただぼーっとしているわけではない。どうしたら通信機能を保持しつつ、回線の切断と切り替え、再接続が上手くいくかシミュレーションしている。技術が進んでも回線を一本一本つなぐ作業に変わりはない。クリアすべき工程は数十。聞くだけうんざりするが、この地道な作業が「自分には合っている」
日経新聞、夕刊 平成16年11月27日 1面「そこまでやるかより」より)

大学時代に指数関数の級数展開が収束するのは、分母に各項の次数の組み合わせの数が入っているからだと習った。点は数えられるが、点を点を結ぶ線の数は、点の増加に対して最悪、指数的に増加していく。だから配線作業も通るべき点は数え上げるのは優しくても、点と点を結ぶ線の数はあっという間に人間の認識能力を超えてしまう。その辺が難しいのだろうと思う。大学時代、研究室の周りの学生は大抵はニューラルネットの研究をやっていたが、これなどはニューロン素子間を結ぶ結合係数の決定を自動的にやってしまい、それを学習と名づけている。これも個々の素子だけの調整なら何もそこまで複雑にはならなかったと思う。結局は素子間の結合の数があっという間に多くなるから、それを自律的になんとかしようと言う話だったと思う。まー複雑だからこそ脳のモデルになり得たのかも知れないが。
最近、Matlab + Simulink での仕事していると、単純に Java でプログラムしていた頃とは違った感覚でしんどい部分が合った。要は Simulink ってブロック線図を画面上で組みながら、シミュレーション用のモデルを構築する視覚的なモデリングツールであるが、組んでいて思ったのは、配線管理の大変さである。一応階層的にシステムをパッケージ化出来るので、個々の機能ごとのモジュール化、部品化はさして難しくない。制御対象のモデルも大体定石は決まっている。ただ全て、部品をエディタで見ながらマウスで線を結ぶと言う作業になるので、ちょっとした配線ミスでモデルが変な挙動をしてしまう。感覚的に何がしか違和感を持ちつつ、作業をこなしていたが、ちょうど引用した新聞記事をみた時、「これや」と思った次第である。どうも機器その物のモデルは大した事はないが、関連しかたが複雑な為に、どのように結べば良いか悩んでいる時間は多い。また視覚的なレイアウトにも注意を配らないと、プログラムのように比喩ではなく、文字通りスパゲッティとなってしまう。「これがプログラムなら、どれだけ見通し良いか」何度もそう思った事か。またこれからもそう思うのであろう。

回線パネルを開け、毛細血管のごとき回線を切ってはつなぐ、一本間違えると全て台無しだ。頭の中の手順表通り慎重に、しかし迅速に。日付が替わり、目は血走ってくるが床下、天井へと動きは止まらない。計算し尽くしたつもりでも、朝までに終わらないこともある。いったん撤収。しかし次の晩は「気合で完成させる」という。IT社会も、支えているのは人の芸と心意気だ。
日経新聞、夕刊 平成16年11月27日 1面「そこまでやるかより」より)

完成納期と言う意味でははるかに私の方が恵まれている。しかし手順表が無いという意味でははるかに私の方がしんどいであろう。だから「気合」だけではどうにもならない事もある。しかし「人の芸と心意気」は必要だとは思う。しかしその芸をどのように学べばよいのであろうか。別にモデラーになろうとは思わないが、モデル化について色々と勉強した方が良いのだろう。今までのプログラミングとは違った技能が要求されていると思う。しばらく苦労は続きそうだ。やれやれ。しかし便利そうなビジュアルツールも視覚的という事が帰ってあだに成っているような気はする。人間の視覚的な認識能力もある部分ではたかが知れているのである。