餓え

餓えに苦しい思いをする経験なんて、もう久しく記憶にないな。・・・・・

お盆の行事って、今では、田舎に集まって祭壇にお供物を祭って、先祖を招いてというふうになっているね。京都の大文字はその送り火だし。けど、その由来はこんな物語らしいんだ。

モッカラーナは頭の切れる男だ。単に頭が良いと言うだけではない。どこか不思議な力を持っている。カリスマ性と言うのだろうか。常ならぬ生き方を志していた彼は、その当時の習慣に従い道を求めて出家を行い、サンジャヤという行者の弟子になった。そんな彼だったからだろう、あっという間に250名近い信望者を得て、サンジャヤの教団の二番目の高弟となってしまった。

そんなある日、彼は親しくしている友のサーリプッタから、城で出会った清々しい出家者に出会い、その教えの斬新さに非常に感銘を受けたことを聞くと、すぐさまその出家者が師と仰ぐ覚者にサーリプッタと共々、教えを聞きに言った。

釈迦族出身の出家者らしい。」
「既に佛陀をなったらしいではないか」

期待を裏切らぬその教説と印象にすぐさま彼はサーリプッタも含む、250名の信望者と共に、そのまま、釈迦族の覚者の元に弟子入りしてしまった。

やはり、モッカラーナは只者ではない。彼は仏陀釈尊からその教えや法を常人ならざる速度で吸収していった。特に神足と呼ばれる法に長け、超人的な力を発揮するまでに至った。後にバラモンの神々が釈尊に対して「人間の分際で」と驕慢な態度で臨んだ時、脇にいた彼はバラモンの神々の宮殿に押しかけ、得意の神通力をもって神々を赤子の手を捻るように力ずくでひれ伏せさせたと言う。そんな逸話が残るほど、彼は常人離れした力を持っていた。釈尊の高弟において「神通第一」と呼ばれるようになった。

彼に父親の記憶はない。生まれてすぐに亡くなったらしい。母親は彼を可愛がった。聡明な息子を宝のように思った。ありとあらゆる教育を受けさせて、その将来を期待した。その母親ももう彼が釈尊に帰依した頃には既に亡くなっていた。彼が修行によって三明六通の神眼を得て、生死を越えて人の運命を見ることが出来るようになった時。彼は母親を探した。実際に彼は母親に感謝していた。自分に手厚い教育を施し、十分な愛情を与えてくれた事に対して。出家をして少し気がかりだったのは、それが母親の意志に反していた事だった。だから彼は母親がなくなった事を聞くと、定期的に死後の安穏の為に当時の風習に従って供物をささげて供養を行っていた。

彼はまず天の世界を探した。くまなく探した。しかし居なかった。彼の神眼に探せないものは無い。しかし居なかった。
次に冥土の世界を探した。くまなく探した。しかし居なかった。彼の神眼に探せないものは無い。しかし居なかった。
少し考えた。おかしい。けれど彼の神眼は完璧だった。つまり居ないのである。
彼は視野を下にした。「まさかとは思うが」・・・・、
次に修羅の世界を探した。くまなく探した。しかし居なかった。彼の神眼に探せないものは無い。。しかし居なかった。
次に畜生の世界を探した。くまなく探した。しかし居なかった。彼の神眼に探せないものは無い。。しかし居なかった。
次に餓鬼の世界を探した。くまなく探した。しかし居なかった。彼の神眼に探せないものは無い。。少し待て、・・・・
似ている。痩せこけて、やつれた陰惨な表情をしている。備えられた供物がある。見覚えがある。それはそうだ。捧げたのはモッカラーナ自身である。

絶句するモッカラーナ。なぜ。・・・・
痩せこけて目を窪ませ、母親は空腹に苦しんでいる。供物に手を出した。
水を飲もうとする。喉に入った瞬間に水は火となる。喉から火を吐いて、のた打ち回る。
米の供物を口に入れる。喉に入った瞬間に米は火となる。喉から火を吐いて、のた打ち回る。
空腹に供物を渇望するも、なぜか火となり腹に入らぬ供物にモッカラーナの母親は涙を流しながら、苦しんでいる。

すぐさま、モッカラーナは神通力を使って、母親の空腹を満たそうとする。後にバラモンの神々さえ屈服させるほどの力だ。甘露の薬水を、美味なる果実を、ありとあらゆる滋養と美味を、母親に与えてみた。
薬水を飲もうとする。喉に入った瞬間に薬水は火となる。喉から火を吐いて、のた打ち回る。
果実を口に入れる。喉に入った瞬間に果実は火となる。喉から火を吐いて、のた打ち回る。
薬水を飲もうとする。喉に入った瞬間に薬水は火となる。喉から火を吐いて、のた打ち回る。
果実を口に入れる。喉に入った瞬間に果実は火となる。喉から火を吐いて、のた打ち回る。
・・・・・・・

モッカラーナは涙を流した。自分の神通が何ゆえ利かぬ。何ゆえ母は餓鬼となった。何ゆえ私は何も出来ない。・・・
万策つきて、彼はすぐさま、文字通り空を飛んで釈尊の元に赴き、泣き顔で迫った。

「私の母親が死後、餓鬼の地獄に落ちて苦しんでいます。あの慈愛に満ちた母親がです。私は必死で救おうとしました。しかし無力でした。万策つきました。どうか師よ、わが母親をお救いください。そのお力をお貸しください。」

釈尊の答えは、非情だった。

「モッカラーナ、お前の神通で無理なら、私でもどうする事も出来まい。」

モッカラーナは絶句するしかなかった。

僕の母親なんだけど、最近は去年のように被害妄想に刈られて、隣のドアの音に怯えたり、会社に行く私を捕まえて泣きつくような事はなくなったさ。体が痛い痛いって、夜中に起きて、気が狂うほどに泣いて、背中をさすったり、薬を準備しなきゃいけない事もほとんど無くなった。

けどね。痩せて来たんだよ。病気?
どうなんだろう。なんか違うような気がするな。多分ね。
単純な事さ、食べられないんだ。普通に食べると咳き込んで、吐き出すんだ。
だからごくごく柔らかいものしか駄目なんだ。卵とか、柔らかい魚の白身とか、柔らかめのご飯とか。ごく少量。
野菜なんて全然だめだよ。いくら柔らかく炊き込んでもね。困った話だ。繊維質のせいかな。
それに便秘もきついから、下手に食べるとお腹に溜まって気持ち悪いって。食べるの怖いみたい。
病院に行っても、訳が分からないさ。適当に薬をもらっても副作用がきついからって飲まないし。

あとさっきね。夜中だけど。お腹がすいたらしい。起きてパンを食べ始めたんだ。時間を掛けたけど。半分以上残していたけど。パンの耳は全然だめだ。やはりあまりお腹に入らないらしい。昨日なんて寒いからと思って、甘い葛湯の元をかって来たら、その中の小さな粒が喉に引っかかって大変だったて、なんかよく分からないよ。理解できない。そうお腹がすいて苦しいだけなんだ。病気でもなんでもないよ。多分。
けど苦しいんだって。・・・・

何か柔らかくて栄養のあるものをって、買い物をする時にけっこう悩むんだ。明日は土曜日、買い物の日だ、何を買おうか。

肩を落として、無言で跪くモッカラーナに釈尊はこう語った。

「モッカラーナよ。お前の母親はお前を可愛がっていた。お前の将来を願っていた。お前の為に懸命に働いた。父親の居ない分、懸命に働いた。」
「モッカラーナよ。お前の母親は為に、お金を集めた。より良い教育を受けさせるためにお金を集めた。高利のお金を沢山の人に貸し付けて、人から非難の目で見られようとも、わき目もふらずに高い利子を回収してお金を集めた。お前の為にお金を集めたんだよ。」
「モッカラーナよ。お前の母親がそうして蓄えて、お前に残した財産も、もはや托鉢でその身を養うお前には用のないものだろう。今はちょうど雨季が明けたばかりだ。もうすぐ、この精舎にも雨季の間、洞窟にこもり修行に励んでいた、出家者が沢山集ってくるだろう。彼らに食事を供しなさい、彼らに衣類を用意しなさい、彼らに鉢を、文具を、身の回りの道具を与えなさい。」
「モッカラーナよ。お前の母親がそうして蓄えて、お前に残した財産も、もはや托鉢でその身を養うお前には用のないものだろう。教えを聞きにこの精舎に集まってくる出家者に、食事を、衣類を、身の回りの道具を与えなさい。」

モッカラーナはその言葉を聞くと、師の言葉に素直に従う事にした。釈尊の言葉には優しさに満ちていた。それだけで従う理由には十分だった。ただどうすれば良いかは、相変わらず分からなかった。

やがて精舎に集まった出家者たちは互いに挨拶をして、雨季の間のお互いの修行について語り合いながら集っていた。そうした集いに立派な食事が供された、衣類の古くなった出家者には新しい衣が届けられた。そうした予想外の贈り物に出家者たちは喜んだ。皆が歓喜の声をあげた。誰が捧げてくれたかと、贈り物の主を探した。そこにはモッカラーナが立っていた。元気のない少し肩をおとした姿で立っていた。モッカラーナの周りに出家者たちは集まった。口々に礼を言った。賞賛を与えた。

誰かがその布施の理由を尋ねた。彼は少しづつしゃべった。いつも堂々としている彼と似つかぬ口調だった。釈尊から言われた事も含めて全てを話した。話し終わると彼は無口となった。
口々に出家者たちはつぶやいた。

「なんと言う悲しきことよ。」
「しかし、仏陀となった我が師でさえ、どうしようも無いと言うではないか。」
「しかし、何とかならんものか。」
「せめて、少しでも苦しみが和らぐように、祈ろうではないか。」

そばにいた出家者が手を合わせ、黙祷を始めた。隣の出家者も同じように黙祷を始めた。
モッカラーナを中心に、炎が燎原に広がるがごとく、黙祷の輪が広がっていった。
数多くの祈る姿にモッカラーナは、うつむいて泣き始めた。ただ泣くしかなかった。・・・・・

彼の神眼に探せないものは無い。彼は涙をぬぐうと、感涙と安堵の入り混じった表情で立っている母親を確認した。
彼の神眼が見落とすものは無い。彼は涙をぬぐうと、餓えの苦しみとは無縁となり、安穏の世界にいる母親を確認した。

「さよなら母さん・・」

彼はそうつぶやくと、黙祷を捧げた多くの出家者たちへ丁重に礼をして、すぐさま普段どおりのモッカラーナとなり、一人寝床に戻っていった。

焦ってたべるから、台所や食卓がいつもより散らかるんだよな。困った話だ。けど仕方ないか。言っても始まらないし、不可抗力だよ。明日は買い物が終わったら、少し念入りに掃除をしようか。

知識では役に立たない。力でも役に立たない。何が縛っているのか。誰に助けを求めればよいのか分からない。

モッカラーナか。何を捨てればよいのか教えていただけませんでしょうか。

パンの耳、卵の殻と 野菜くず 生ゴミと呼ぶは 人の都合さ。 ・・・(考葦子)