はるかぜ。

「萌え」という言葉は本来、晩冬から早春にかけての今の季節のためにあるものである。ちょうど地表に一斉に芽吹き、明るい黄緑が広がっていく様子を萌えと表現したらしい。今では別の意味あいで使われる事が多くなったが、その言葉のもつ語感は案外と保たれている気もしないでもない。何れにせよ、相手(特に女性)に対する好意的な感情の発現が、ちょうど早春に植物が一斉に芽生えるように、より本能的な様相を示していると言うのだろう。

私にとって、三月、早春の時期はどこか狂気を秘めた物を感じる季節である。胸騒ぎと言うのだろうか。「萌え」の感情はある種の期待が込もっていて、少し狂おしさを内包しつつも、どこか前向きなところも有る。しかし、「萌え」と言う感情から程遠い今の私には、坂口安吾の小説ではないが、この時期の感覚は文字通り、狂気が通り過ぎていくような所が有る。それは時として荒々しく吹く春風のせいだろうか。

種として見ると人類は風に対して高い感受性を持っているが、耐性は驚くほど低い。もちろん個人差があり、なかには性差とおぼしきものもある。
ほとんどの女性は賢くも風から避難する隠れがを求める。ところが男性は嵐が近づくと何故か落ち着かなくなる。あたかも、急を告げる雲を見たいり激しく木々の間を聞いたりすると、それらに刺激されてどこか深い所に眠っていた反応が呼びさまされるかのようだ。ユーゴスラビアダルマチア海沿いのある漁師は北風の接近を警告する金切り声に似た「フコヴィ」と呼ばれる風について、「心臓を震わせる絶望的な音」だと言っている。
ライアルワトソン著 「風の博物誌」第五部、九章 風の心理学、1.よこしまな風より

先日、友人から電話があった。彼も人づてに私の状況を聞いたそうだ。

「そう言う病気は移るからな。・・・・気ーつけなあかんで。」

彼自身も、そして彼の母親もやはり精神的に病んで苦しい時期を長らく過ごしたらしい。私の話しを聞いて、是非、電話で話しをしたくなってかけて来てくれたのだった。久しく合っていないが、そう言えば、何年か前に病んだ母親の看病に疲れたような事を少し漏らしていたと思う。その時は、あまり実感が湧かなかったが。今にして見れば彼の苦労も容易に想像できる。色々と話しをしてくれた。自分自身や状況に照らし合わせて、切実に共感するのだろうか、熱心に話しをしてくれた。多分にあまりそうした話しを他人にしたことがないのだろうか。理解されるべき相手にしか出来ない話が多いとは思う。つらい事は一人で抱えるよりも、二人で共有した方がずっと耐えていく力が増すものだ。それは彼に取っても私にとってもそうだろう。友達とはそう言うものだと思う。

三月に入って、時々、自分が狂気に染まっていくような感覚に襲われるようになった。春風にも敏感になった。自分の所有する物と言うのは案外と相対的なものである。記憶も常識も、判断力も、本来人間に備わっている物でもそれは絶対的なものではない。普段、そうしたものが自分のもので無くなるとような経験はそうあるものもない。がここ半年の自分を振り返ってみれば、まず仕事の面で自分の遂行能力が格段に落ちたような気がする。母親が精神を病んで、家庭がおかしくなり、私自身追い詰められたような感覚に襲われてきた。*1焦燥感から、普段でも、ノートPCを家に持ち帰り、寝る前にPCを開いて、仕事の段取りをしないと置いて行かれるような気分だった。非常に余裕の無い生活だと思う。しかし仕事の準備はすれど、大抵は頭が働かず、結局 mixi やお気に入りの BLOG を眺めて気分転換で終わってしまう。怠惰を通り越して、無意識の内に自分で逃げているのだろう。そう思う。
多くの人は多分、鬱なり神経症と言う風に捕らえるだろう。確かに病気だと言ってしまえば楽なのかもしれない。しかし必ずどこかで冷静な自分が居て、そうなりきれない。会社の中でも、みんなが着実に仕事をこなしている中、一人取り残されていくような感覚に陥る。焦る。しかしどこかで冷静に今の自分を見て、今自分の経験していることの意義について考えている自分が居る。その矛盾が有り難いことなのか、つらいだけの事なのか良く分からない。

くだんの彼と電話を続けていると、最後の方にこう言ってくれた。

「なんだかんだと言っても、無理したらあきまへんで。なんもよう無い。無理しても自分の首を締めるだけやで」

実感を込めてそう忠告してくれた。確かに無意味に自分を苛めているような所はあると思う。*2しかし、何もかも達観したように、つらい事から逃げるように感情を失いつつあった私には、彼の熱意を込めた忠告が、非常に新鮮だったし、その心遣い・思いやりが非常に嬉しかった。少なくともこうして、人の思いやりを理解して、そこにありがたさを感じていると言う事は、狂ってはいないという事だと思う。

「また気軽に電話してきてや、俺も電話するし、まーしんどかったら別に取らんでいいし、その辺は経験しているから、そう思っとくさかいにな。」

無理をしないと言う事が難しい状況でもある。ある意味、「頑張る」と言う事も必要だ。しかし頑なにはならずに置こうと思う。自分の弱い部分は常に隠す必要があるわけでもない。自分の殻に閉じこもってしまうのが、結局、無理につながる事なんだと思う。「一度、気軽に電話してみる」、自分に大切なのはそんな事なんだろうと思った。

  1. 春風は冬の終りに狂気を運んでくる。
  2. しかし、春が終わる頃に再びその狂気を運び去っていく。

季節は流れていく。そう考える事にしよう。

風の博物誌〈上〉 (河出文庫)

*1:正確に言えば、この表現は間違っているんですが、私が焦燥感に刈られるのは、ある程度、母親の病気とは別のところに原因がある。

*2:こんな時間に BLOG を書いている事を含めて、そう思う。