子守唄。

先日の記事にも書いたが、多分ここ半年はかなりのスランプに陥っていると思う。どうやら少し山は抜けたようだけど、去年から今年に掛けての年末年始の頃は最悪だったような気がする。去年の10月ごろだったか、自分で自分の占段を立てた事があるが、出た占段のあまりの酷さに絶句した。今まで約 15年以上、占星術をやっているが、酷さでは多分に三本の指に入るのではないかと思う。それがよりによって自分に来るとは、逆にそうした危機を事前に察知できたからまだ良しとしなければ成らないのかも知れない。

気にしなければ良いと言う物ではない。今まで人の相談にもかなり乗ってきた。かなり重たい内容の相談もこなして来た。道具立てとしての占星術についてはいつも真剣である。自分で信頼できない方法で、人の相談にのるほど私も器用ではない。

しかしながら、占段が示す未来は絶対的なものはない。その辺は宿命と運命の物の見方の違いであろうか。*1 例えば、易の64卦の一番最後は、事の未完成を示す「火水・未済」で終るのはその事を象徴していると思う。先日、思い余って久々に今の仕事の事について、占ってみた。前回、仕事のことで占ってから辛かったけど自分なり抵抗したつもりである。だが状況がまるで見えない。相変わらず、五里霧中である。

私の占星術は易では無い。が易の表現を借りて説明も可能である。部分的であるが「山天大畜」の相が出ていた。天に聳える高い山、転じて無謀な試み、無理な計画とも読むことが出来る。確かにそうだと思う。しかし会社では言いにくい。自分の精神的な部分から来ている所もある。変に自分で弱みにしてしまっている。自律的で、潔癖。言い訳をしない性格が完全に裏目に出ている。打開策はこの場合、清水の舞台から飛び降りること。つまり捨て身の努力で難局を乗り切るしかない。引き返すことは結局、先送りにつながるだけである。

しかし、「無理をしない」との忠告の言葉が心に響く、今の心身の状態で、捨て身の努力は自殺行為にも等しいような気もする。今はあえて休養をとり、体力をつけないと文字通りダウンしてしまう。この半年間、本当に自分を追い詰めてきたと思う。先日に友達と電話で話しをしていてそう感じていたところである。一体どういう意味だろう。確かに難局を乗り切るためにはとあるので、最初から最後までではないだろう。しかし捨て身ってどう言う事だろうか、普通なら、体力的に無理をしてでも、24時間働く事のような事なのか。確かに残作業の量は半端でないような気もする。4月から次の仕事も待っている。がここで倒れてしまっては元も子もない。本当にどう言う事だろうか。

そんな事を行き返りの電車の中で考える事が多くなった。そんな時にふと思い出し事がある。確か「部屋とYシャツと私」を歌っていた平松絵里への新聞のインタビュー記事である。もう2年か3年前の記事だったと思う。

半分はうる覚えなのだが、彼女(平松絵里)は元々体が悪く、子どもが非常に生まれにくい体質らしい。*2だから、同業のミュージシャンから求婚された時も非常に迷ったらしい。子どもも出来ないし、普通に家族を築けない。そんな自分に引け目を感じてかなり消極的だったらしい。結局、旦那になる人から、「僕は君の子どもと一緒になるために結婚するんじゃない。君が好きだから、きみと結婚するんだ。」そんなニュアンスの言葉に迷いを吹っ切り、結婚したそうな。
そうして、やがて妊娠が判明。元々妊娠しにくい体質だったし、妊娠しても出産が上手くかどうか分からない。その時医者の見立てでは、25% の確立でしか出産は成功しない。そう告げられたらしい。迷ったがその25%にかけたそうな。不安と闘いながらもやがて出産の時期になった。当然、難産である。病院で医師の慎重な手当てを受けながら、苦しい出産である。とりあえず出産は終わったが、赤子の様態は最悪らしい。要するにすぐ側に死神が来ているような状況だ。医者の手厚い処置が続く。母親も体力を使いきり、ボロボロである。*3
彼女はその時の様子について、体がボロボロになり大変だったが、朦朧とする意識の中で彼女はそれ以上に強烈な無力感に苛まされたらしい。せっかく生まれてきた子どもに対して、何も出来ない。何もしてやれない。医者の治療を黙って見守るしかない。何も出来ないんだ。・・・・・
歌を生業とする故かそれとも母親としての彼女の本能だろうか。掠れるような声ながら、彼女は歌い始めたらしい。赤子に向かってとにかく歌を歌い始めたらしい。何を歌ったか、記事の内容ははっきりと覚えていないが、いわいる子守唄だろう。子どもの為に歌い始めたらしい。その瞬間、今にも絶命してもおかしくない赤子の顔がその時、「喜んで微笑んだ」と彼女はインタビューに答えている。嬉しくなってそれから、とにかく体力の続く限り、歌いつづけたらしい。
今では子どもも大きくなって無事に育っている。後から振り返ると、子どもの様態が快方に向かったのはちょうどその歌い始めた頃らしい。無茶は承知で望んだ出産。母親としてぎりぎりまで追い込まれて、本能なんだろう。生きていくために歌った。歌によって子どもが救われたと単純に結論付けられるわけではないが、何がしかの力になったのは事実だと思う。

確か、「子どもと育つ」という育児に関する著名人へのインタビューコーナーだったと思う。よく読むのだが、平松絵里の記事にはかなりの印象を受けた。捨て身の努力というには、彼女の場合、非常に自然体のような気がするが、それでも静かに葛藤や不安を秘めつつも理不尽な運命に精一杯抵抗していく姿に、非常に共感を覚えたと思う。母親が子どもの為に子守唄を歌う。ごく自然な事だが、それを生きるか死ぬかの瀬戸際で行うのは、何がしか力強くそして尊いものを感じる。信念や根性と言う言葉では説明するのもおこがましいような気がする。

今の私には、命の瀬戸際に歌を歌うような、生き抜くために、理屈抜きに行える物があるのだろうか。それは生きる目的なのだろうか。上手く表現できないが、結局、自分で自分を生かそうと言う気持ちの部分なんだろう。ただその理由はこれから探さないといけない気がする。母親が子どもを守るために歌を歌う。それが自分の場合何なのか。職業を通じて、ただお金を得るだけはない部分だろう。が明確な答えはまだ無い気もする。考えるだけでは見つからないだろう。要は辛い事だけど、もがき続けていく過程でしか見えてこないのだろう。

捨て身と言うが、捨てないといけないのは結論をすぐに求める心や人に対して頑な自分のような気もする。それなら少しは納得も行く。

秋の虹

秋の虹

*1:宿命ならば、100% 未来は定まっている事になる。運命は強弱はあるが傾向を示すだけであって、100% の未来ではない。

*2:たしか先天的な子宮内膜症か何かだったと思う。

*3:私も知人夫婦に一人、妊娠・出産が命がけと言う子を知っているし、話しを聞いた事もあるが、やはり出産のリスクと言うのはかなり大変らしく、その知人も緊急入院を何度か繰り返したそうだ。