花を献ずる。

JR 宝塚線の事故の復旧は 6月半ばになりそうである。思った以上に長期化しそうである。知人も何人かあの沿線に居るので最初は随分心配した物だった。*1

2005年05月03日(火)

献花台に一時100mの列、JR西社長も初めて訪れる

 脱線事故現場南側に置かれた献花台には、3日、終日長い列ができた。

 JR西日本垣内剛社長も初めて訪れ、列に並んで、献花台に大きなユリを供えて、手を合わせた。

 息子の真大さん(29)を失い、社長の直前に献花を終えていた会社員山本孝士さん(59)(兵庫県川西市)は、「なぜ、1番にここに来なかったのか。犠牲者がどんな気持ちでこの場所に閉じこめられたのか。遺族がどんな気持ちでここに来るのか。考えているのか」と声を荒らげた。垣内社長はうつむいたままだった。

 垣内社長は報道陣に、「ご遺族の喪失感を思うと、慰めの言葉も見つからない。ただおわびするしかない」と声を絞り出すように話し、「申し訳ありません」と深く頭を下げた。

 献花の列は一時は約100メートルに達した。

5月3日 YOMIURI-ON-LINE 社会ニュースより引用。

事故から10日以上経ち、色んな事が報道されてきた。ただ状況が複合的な物なので、原因の追求にはまだ時間が掛かるだろう。復旧の再開が予想以上に遅いのも慎重を期してのことと思う。ただ私も最近の一部のマスコミ報道には正直、違和感を感じる。 *2

確かに 遺族の方々の心中は察し切れぬぐらいものであろう。JR 西日本にもかなり色々と問題がある。が、ことさらここで必要以上に非難を繰り返して一体なんになるのだろうか。社会の木鐸として社会的な制裁を与えているとでも言うのだろうか。憎しみを煽っても結局、遺族はさらに苦しむだけなのに。例えば JR 西日本側が誠意の無い態度で補償に臨んていたりするなら別だろうが。度の過ぎた責任追及は逆に補償交渉の妨げになるだけだろうに。

あともう一つ。最近の国際的な傾向として、例えば航空機事故のような大規模な交通災害に際して、例え結果的に人為的なミスに起因する事故であっても、民事はともかく、乗員の刑事責任の追求は慎もうという傾向にあるそうだ。*3 その趣旨は責任の追及よりも、再発防止への改善策の実施のための、人間の間違いも含めた原因の徹底究明を重点においた方が結局は公共の福祉のためになる。と言う事らしい。*4 (この辺については、考えていることがあるので後で詳しく書いてみたい。)

遺族の悲しみを社会全体で受けとめる必要は大いにあるだろう。そのために報道を行うと言うならそれは正しいと思う。具体的に文章にするには難しいが、あえて言うなら、現場に行ったマスコミ関係者で、もし献花台に花を添える事もなく、手を合わせない者がいるなら、私はそうした人の報道する内容は例え真実であっても、それを尊重はしない。 真実は時として残酷であり、大いに人を傷つける事もある。それを弄び、正義を名乗るものが最近増えたような気もする。*5 どうなんだろうか。私はそうならないように慎みたい。どうすればよいのだろうか。

最後に、今回の事故の犠牲者の冥福と、負傷者の方々のいち早い回復、並びに犠牲者の親族。関係者の方々がいち早く悲しみから癒されます事をお祈りいたします。

*1:実はあの件の彼女のその一人だったりする。

*2:例えば、天王寺管区での社員のボーリング大会の報道は少しやりすぎだし。あと記者会見での記者の柄の悪さとか何とかならないか。

*3:この部分の内容については村上陽一郎著 「安全と安心の科学 (集英社新書)」 に拠る。

*4:若干違うかもしれないが、今回の被害者の救助活動に際しては、阪神大震災での経験が随分生きているそうである。例えば、震災時の経験を元に改善された多くの負傷者が出た場合の救急治療の方式によって病院に担ぎ込まれた患者からの死者はかなり少なく済んだそうだ。

*5:別にマスコミだけではない。むしろ、BLOG にだって酷い物もあると思う。要はメディアの種別ではなく、各メディアに必要なリテラシと配慮が十分かどうかと言う問題だと思う。