公共の場

今日、駅から自転車に乗っての帰り道、少しいつもの道から外れて回り道、川沿いの道を行き。川沿いの道に入ってすぐ、止めてある自転車の裏側に人が正座をして弁当箱を広げて、何かを正面に見据えて、何かを食べているのが見えた。

「なんだろう。」

ちょうど、四体の地蔵がある小さなコンクリート製の祠の真正面で、そこをじっと見据えている。確かすぐそばにある府道と国道の橋先の交差点で交通事故が多発して居た頃に、建てられた物で、出勤途上に時々きれいに掃除している人を見る。そういう思い出なんかなと思うと少し重い。不意に現れた光景に少し不思議な気がした。

そこからすぐに橋の方に振り返って目をやると、何か鋭い視線が飛んできたような気がした。向こう側の橋桁の下のコンクリートの空間に人が居る。周りにはダンボールや毛布が積み重なっている。何か不注意で人の私生活を覗き見した方がして、慌てて目をそらす。そうか人が住んでいるんだ。「ホームレス」と言う言葉が定着するずっと前より、橋の下と言うのは無宿な人の住処であり、子どもの頃にもたまに言葉にしていた気がする。ちょうどその周辺は葦が茂っており、もう少し先のきれい整備された川辺に子どもが遊んでいる光景との落差は何なのだろうかと思う。

その川べりをもう少し進むと、川沿いの道路と用水路の間にある小さな空き地に畑があり、その脇に小さな文字通り手作りの小屋がある。そこに多分、2人程住んでいるようだ。*1 畑の脇には看板がある。府の土木事務所が建てたものだ。

「この土地は河川法により使用を禁じられています。これらの不法占拠している植物類は直ちに撤去する事」

たからと言っても、やはり今でも畑には野菜や花が植わっており、時々、人が(多分に夫婦なのだろうか)いて、料理をしていたりする。生活がある以上、そこを離れるわけには行かないのだろう。時折、それを見ていると土地の所有権と言うのは一体なんなのだろうと思うことがある。確かに法には触れているのだろう。それでもその法を守る事が、その2人の生活基盤を丸ごと奪ってしまう事になる。なんか釈然としない物を感じる。

江戸時代までは、土地の中には、入会地と言って、山林や森など誰の所有でもない土地があり、村で共有し、管理していたそうだ。誰の物でもない、皆のものだと言う事で、自主的に決まりを作って利用を制限していた。ただ明治時代にそういった所有権の曖昧な土地は一網打尽で、国有地に繰り込まれていったと思う。けれど国の土地って一体なんなのだろうと思う。誰かが管理をして、決められた範囲で利用はできるが、決してそれは私達の土地ではない。土地はいつから相応の財貨を持って手に入れてそこに所有権を主張するか、もしくは決して所有する事の出来ない国の土地になってしまったのだろうか。

そうした事は当たり前のことなんだろうか。極端な例かも知れないが、中東から西アジアにかけて、多数の遊牧民にとって、土地とは所有する物ではなく、巡って利用するものであったはずだ。当然、土地の所有権など誰も必要では無かっただろうし、昔は遊牧民は一箇所の土地で農耕をする人を指して、我々の方が自由だとそれを誇りに思っていたらしい。今ではあの地域には沢山の国境がめぐらされて、あそこはあの国、ここはこの国と取り決めがなされているが、本来、移動を常態とする遊牧民にとって、そんな国境は迷惑以外の何ものでもなかったであろう。*2 生活形態によっては土地に対する接し方は随分違ってくるように思える。それが何処からが正しくて、何処からが間違っているのか。考えればいろいろと複雑な要素を含んでいる。*3

しかし、橋の下にいたあの人は何を思ってあそこに一人で居るのだろうか。大阪の京橋辺りだと、そうしたホームレスの人たちも何らかのコミュニティを作っており、中には、風俗店やマンガ喫茶などの看板もちをやっている人もいる。中には BIG ISSUEを販売していて、日に日に身なりが良くなっていった人もいる。しかし近郊の住宅地域である、あの橋の下では、一人で過ごす事の方が圧倒的に多いだろう。ホームレスを指して、究極の自由人と言う意見もある。しかしそれは何か違うと思う。彼らは彼らで囚われて縛られている物があると思うのだ。

去年の晩秋から初冬の頃だったかな、母親が精神を病んでしまい、極端な被害妄想に陥った時、家に居るのが怖くなって、市の中心にある駅のターミナル辺りをぶらぶらしていた時期があったんだ。
夕方から夜にかけて、駅出口のコインロッカーの前に落ち合って、晩御飯も母親が買った折り詰めを駅の下のベンチのある遊歩道で食べてなんて事があったよ。
薄暗い中でご飯を食べているとね、向こうのベンチにホームレスの人が何人か集まって来るのが見えるんだ。とりあえず遅くなって家に帰ろうとするんだけど、恐怖に駆られた母親は諦めるように「もうここでいい、怖いし帰りたくない、あそこにも何人か似たような人が居はるやん。私もあんなんでいいわ、もう。」と帰るのを嫌がるだ。・・・家に連れ戻すのになんかすごく骨を折ったな。・・・

今ではかなり様子も良くなり、日常生活を取り戻しつつあるが、確かにあの頃、何かに囚われるようにそこに居ようとするので、引き離すのにかなりのエネルギーを使ったような気がする。あれは自由ではなく、拘束なんだと強く実感したものだ。それは私自身の立場では、安住の地を失い何処かへ落ちていくといった恐怖心にも通じる物だったと思う。ただ、それが見えない故に、自分でも理解出来ず、誰からも理解されず、そこに居い続けるのだろう。ある種の難民だと思えば理解もしやすいだろうか。

土地は本当は誰の物なのか、誰かが生産した物では無く、元々よりそこに存在するものだけに、生活の土台として必ず必要である事も含めて、それとどう関わるかについては色々と難しい要素ははらんでいると思う。*4

*1:当然、電気も水道もガスも通っていない。

*2:例えばイラクがあれだけ民族、宗教問題でごたごたするのも、元々イラクという国の形が植民地主義の成れの果て、欧米諸国のご都合で極めて人工的に定まった経緯があるからだろう。暴論かもしれないが、あの国は無理にまとめるより、一旦解体した方が良いように思える。

*3:例えば、難民と言う言葉ある。避難民の略なのだろうか。それとも政変によって国を追われて、定住の地を失った彼らの状況を指して、扱いが難しい状況だから、「難」民なのだろうか。

*4:実は個人的に土地の問題に巻き込まれていて、色々と悩んでいるせいも有るかも知れない。