品質に対価するコスト。

(11/30 追記、品質追求のコストを価格に載せることについての考察を加える。)

「悪者探しで景気悪化」
耐震強度偽造巡り武部氏

自民党武部幹事長は二十六日、北海道釧路市での講演で、耐震強度偽造問題について「悪者探しに終始すると、マンション業界はつぶれますよ、ばたばたと。不動産業界もまいってきますよ。景気がこれでおかしくなるほどの大きな問題です。」と述べた。

日本経済新聞、平成17年11月27日号 2面より引用。

論点がずれていると思うのは私だけだろうか。この一件で、かなり被害を受けているホテル業界もある。無意味なローンを背負って困窮している人も多数だ。それ以前に人命に関わるような不正を行い、利益を上げようとした事業者が然るべき処罰を受けて、被害に対する責任を取るのは当たり前の話のように思うのだが。三菱自動車しかり、雪印然りである。これではまるで、今回の耐震強度偽造問題について、マンション業界の構造的な問題で、どの会社も大なり小なり関与しているとでも言うのだろうか。それはあまりにも性悪説に立ちすぎた物の見方のような気もする。例えば以下のようにまじめに品質を追求している事業者も居るのである。

当社なら、100年もつ
「当社のマンションなら百年はもつのに・・・」とぼやくのは、ダイア建設の渡辺憲雄常務。
一年前から鉄骨を通常設計より強化し、耐震性能を高めた物件を開発してきた。だが「価格が 5%高い」などの理由で今期の販売状況は契約進捗率が6割と他社に遅れを取っている。安全性を確認する構造計算の作成を外部に丸投げするマンション業者が多いなか、二年前に専門部署を設置。産業再生機構入りし「地に落ちたブランド」を立て直すために質にこだわって来た。偽装問題が発生した折だけに「コストをかけている点をもっとアピールして販売につなげたい」

日本経済新聞、平成17年11月19日号 13面「決算トーク」より引用。

先の衆議院選挙で、小泉自民党が目指したのは、小さな政府、「官」から「民」への流れの加速であったはずだ。それは、族議員に象徴されるような従来の政・官・財の癒着、保護主義的・恣意的なな行政からの脱却であり、公平な競争と公平な評価に基づき、努力した物がちゃんと報われる健全な市場主義だったはずだ。だから私は前回の選挙で自民党に入れたのである。今回の武部氏の発言を聞いていると、本当に彼らは改革を断行する気があるのだろうかと思う。武部氏が幹事長と重責ある地位にあることを思えば、当然の疑問となる。自党に投票した有権者を裏切るような行為はくれぐれもつつしんで欲しい物だ。

私はソフトウェア技術者である。ソフトウェア開発の世界でも、似たような品質軽視の風潮 *1はある。今回の耐震強度偽造問題を見ていて、似ているなと感じた物だ。特に建築構造物と違い、物理的な評価指標が無く、品質測定が極めて難しいソフトウェアの場合、こうした品質を犠牲する不正行為はそのままではかなり表に出にくい。ユビキタスと言う言葉が象徴するように、ソフトウェアが社会のあらゆる場面に入り込み、時には人命をも預かっている場合もある。それでも品質が犠牲になる場合が多々ある。業界の良心が自助努力で品質向上に取組んではいるが、やはり限界もある。

何故なのだろうか。まず技術的に難易度が高いせいもある。ソフトウェア工学の分野では、設計検証の技術は航空機の管制システム等のかなり安全性を要求される分野において、応用成功例が目立つ程度であまり普及していない。しかも先の例はヨーロッパであり、日本ではこれからの分野である。建築の分野でもある程度方法論は確立されているだろうが、設計検証は難しいようだ。それは計算自身が難しいという事に加え、その計算が本当に妥当であるかどうかの意味付けが難しいという二重の難しさのようだ。

もう一つは経済的な理由である。上記のダイア建設の記事を読んでも分かるように、品質の追求は上記のように技術として難易度が高いせいもあり、製品のコスト増(又は納期の延長)を招く。実際に市場の要求としては、低コストというのは非常に大きな力がある。実際に事業を行う上で受注が取れないと、先が成り立たない。ダイア建設の場合、一度は産業再生機構に入ったという経験が、逆に打算的な人間を淘汰して、極めて良心的な役職員だけを残したからと言う風にも考えられる。今時の流行のビジネスモデルからすれば、アウトソーシング使わずに全部自前というのは、経済的な効率という意味で逆行するだろう。それでも 5% コスト増を堂々と価格に乗せて、事業を行うとはある意味羨ましいとも思う。やはり産業再生機構に入るような逆境の中でから色々と悟る事があったからだろうか。ソフトウェア産業の場合、このように検証工程での品質向上を価格に載せようにも、そうした品質を尊重する習慣があまりないから非常に難しいように思う。*2

そういった意味で、品質の確保には、経済面以外の動機付けが必要だ。私が思うにやはりここは法規の出番だと思う。特に安全と労働衛生と言う観点から、是非まじめに産業政策の課題に取りあげて欲しい物だ。品質軽視や談合許容的な製造業の存在を認めることは

  1. コストアップに繋がる:品質軽視で一時的なコストは下がっても後でトラブルに起因する損害を考えれば、多大なコストが掛かる。(しかもそのコストは社会全体で払わないといけない。)
  2. 技術の進歩を阻害する:品質軽視や談合許容的な職場の実体を幾つか見てきたが、技術の向上に対する動機付けがまるで働かない。嘘がばれないと楽してもうけられるなら、誰も苦労はしないし。談合許容の場合は、特許が受注の支障になる場合まで存在する。これは労働者のモラルダウンを発生させる。
  3. 労働衛生条件の悪化を招く:品質軽視→トラブル発生→余計な作業時間発生・収益悪化→無理なコスト削減→職員への過当労働圧力発生。(時に報酬カットも伴う)→ モラルダウン → 品質軽視という悪循環を発生させる。(談合許容の場合は、品質軽視→トラブル発生が発注者の不合理な仕様決定プロセス→多大なる無駄の発生に変る。)

多分に建設業界でも似たような構図は有るだろう。建設コンサルをやっている知人は非常に忙しいが、いわいるカフカの「城」的な忙しさだ。品質の向上と言っても、「考える余裕がない」そうだ。特に3)の労働条件の悪化の犠牲者は主に30代以下の層に集中する。*3 フリーター&ニートの問題やを考える上で、こうした尊厳をもって働けて、正当な報酬を得られる場所が次々と失われている現実も直視する必要がある。フリーター&ニートの代表者が国会議員になった所で、働いて社会参加するとはどういう事かを経験して考えた事がないならば、表面的な対処療法的な対策に終始するだけで、本質的な問題は理解できないと思う。

もう少し、政策を担当する与党の議員には、既得権限ばかりに目を向けずに普通に生活する者やまじめに働く者に対する配慮ある発言を望みたいものだ。

*1: 悪魔に心を売っても納期を守る!帳尻合わせの裏技術 (Tech総研)より。

*2:私の知っている範囲だけかもしれないが。

*3:時給換算で行くと、労働単価は急激に減っていると思うし、モラルダウンに伴う精神的なダメージも若ければ若いほど大きいと思う。